旅の栞(スロヴァキア)

7月24日(地図)

ブラチスラヴァ [Bratislava] (地図)


back home next

ブラチスラヴァ [Bratislava]
ドナウ川に面して発展してきたスロヴァキア共和国の首都。 1541年、当時のハンガリー王国の首都ブダがオスマン帝国の手に落ちた際には、ブラチスラヴァにハンガリーの首都が移され、その後1563年~1830年までの間は、ブラチスラヴァ城の麓にある聖マルティン大聖堂でハンガリー王の戴冠式が行われた。 ここで即位したハンガリー王は11人、女王は7人にものぼり、そのなかににはマリア・テレジアも含まれる。 ハンガリー王国はハプスブルグ家によって640年間にわたって統治されてきたが1918年に第一次世界大戦に敗れて崩壊する。 その際、王国内にあった国々が民族ごとに独立を遂げ、チェコとスロヴァキアが手を結びチェコスロヴァキア共和国が誕生する。 その後1993年にチェコとスロヴァキアは話し合いにより独立分離 (ビロード離婚) し、スロヴァキア共和国が誕生する。 現在ブラチスラヴァ はスロヴァキア共和国の首都で、かつてはスラブ系の言葉 (スロヴァキア語) でブラチスラヴァ [Bratislava] 、ドイツ語ではプレスブルク [Pressburg] 、マジャル(ハンガリー)語では ポジョニ [Pozsony] と呼ばれていた。 現在でも、ハンガリーからブラチスラヴァに向かう道路標識には "Bratislava" と "Pozsony" が併記されている。
検問所跡 (ハンガリー側) (13:13)「西北西方向」MAP 検問所跡 (スロヴァキア側) (13:14)「西方向」MAP
現在はシェンゲン協定によって使用されていない。
ブラチスラヴァ城 [Bratislavský hrad] (13:27)「北西方向」MAP
ドナウ川に架かる新橋 [Nový most] から観るブラチスラヴァ城、その左下にある白い建物は国会議事堂。
オソブニー桟橋 [Osobný prístav] (13:33)「東南東方向」MAP
オソブニー桟橋にあるターミナルビル。 この中にあるレストランで昼食をとる。
オソブニー桟橋 [Osobný prístav] (14:25)「南西方向」MAP
ウィーンやブダペストからクルーズ船でブラチスラヴァに到着した場合、この桟橋に着く。
オソブニー桟橋 [Osobný prístav] (14:25)「南東方向」MAP
ウィーンやブダペストからクルーズ船でブラチスラヴァに到着した場合、この桟橋に着く。
レストランの天井照明 (14:28)MAP
ターミナルビル内にあるレストランの天井照明は細い銅管による裸配線、日本では考えられない危険な配線。 これって、一般的な配線 ? それとも共産圏時代の遺物 ? 。 (天井との取り付け部など、一部は絶縁されている。) 
オソブニー桟橋 [Osobný prístav] (14:29)「南西方向」MAP
オソブニー桟橋にあるターミナルビル。 この中にあるレストランで昼食をとる。
スロヴァキア共和国全国協議会 [Národnej rady Slovenskej republiky] (14:44)「南西方向」MAP
いわゆる、スロヴァキア共和国の国会議事堂で、正面入口の上には二重十字の下に山がデザインされたスロヴァキア共和国の紋章が掲げられている。 このデザインは、かつて支配されていたハンガリーの国章を踏襲したもの。 1ユーロ、2ユーロのスロヴァキア共和国のコインの裏側にはこの紋章がデザインされている。 (表はユーロ圏共通のデザイン、裏は各国によってデザインが異なる。)
ブラチスラヴァ城 [Bratislavský hrad] (14:46)「東方向」MAP
手前に見える通用門から城内に入る。
ブラチスラヴァ城の通用門 (14:47)「南東方向」MAP
ブラチスラヴァ城 (14:47)「東方向」MAP
通用門をくぐった位置から見える城塞。
ブラチスラヴァ城 [Bratislavský hrad] (14:47)「北東方向」MAP
四角い建物の四隅にそれぞれ塔がある独特の外観から、"ひっくり返したテーブル" などと呼ばれている。 12世紀にはすでに石造りのロマネスク様式で建てられた城がここにあったらしいが、それが1431年から1434年にかけてゴシック様式の要塞に改築された。 やがてオスマン帝国の侵攻に備えて防備が強化され、1635年から1646年にかけての改築で4つの塔が付け加えられて現在見られるような外観がほぼ整った。 16世紀にはブダペストがオスマントルコによって占領されたため、ブラチスラヴァがハンガリー王国の首都となり、城はこの町の象徴となった。 18世紀にはハプスブルク女帝マリア・テレジアの居城ともなった。 この時代には大々的な修復や増改築が行われ、美しい立派な宮殿として再建された。 ここにはハンガリー総督としてマリア・テレジアの娘マリア・クリスティーナ夫妻が約20年間住んでいた。 そしてマリア・テレジアの死後、文化や政治の中心が再びウィーンやブダペストへと移り、ブラチスラヴァ城の価値も下がってしまった。 やがて1811年に大きな火災が起きて荒廃し、復旧されたのは第二次世界大戦後のことだ。 ちなみに、スロヴァキア発行の10、20,50セント・ユーロのコインの裏側にはブラチスラヴァ城がデザインされている。
ブラチスラヴァ城 (14:47)「北東方向」MAP
ブラチスラヴァ城 (14:48)「北方向」MAP
展望台からの眺め (14:52)「南東方向」MAP
新橋 [Nový most] は1970年の共産圏の時代に造られた橋で、橋にはUFOの塔 [Vyhliadká UFO] (展望レストラン) がある。 ちなみに、UFOの塔のエレベーターはよく故障するそうで、故障すると430段の階段を上り下りしなければならなくなる。
展望台からの眺め (14:52)「南南東方向」MAP
ブラチスラヴァはスロヴァキア共和国の南西に位置する都市で、ハンガリーとオーストリアの国境に接した位置にある。 町を流れるドナウ川は右 (オーストリア) から左 (ハンガリー) へ向かって流れている。 ドナウ川はドイツ南部バーデン=ヴュルテンベルク州の森林地帯 「シュヴァルツヴァルト(黒い森)」 に端を発し、概ね東から南東方向に流れ、東欧各国を含む10ヶ国を通って黒海に注ぐ重要な国際河川。全長は2,850 km。
展望台からの眺め (14:53)「南南西方向」MAP
右の平原の向こうに見える風車や丘は、隣国オーストリアの領土。 社会主義時代には超えることの出来ない国境が横たわっていて、国境を越えようとした約400人が殺害され、8万人が投獄されたと言われている。 現在はパスポートなしで自由に行き来できる。
展望台からの眺め (14:53)「南方向」MAP
川向こうの、建物が林立する後方に見える森はハンガリーの領土で、そのあたりはスロヴァキア、ハンガリー、オーストリアの三つの国境が接した場所がある。
展望台からの眺め (14:53)「北北東方向」MAP
展望台からの眺め (14:53)「北西方向」MAP 展望台 (14:53)「南東方向」MAP
展望台 (14:53)「南方向」MAP 右の建物は国会議事堂 (14:56)「西南西方向」MAP
展望台からの眺め (14:56)「南方向」MAP 展望台 (14:57)「北北東方向」MAP
展望台からの眺め (14:58)「南南東方向」MAP
2000年前は、ドナウ川は古代ローマ帝国の北の国境であった。 そのため、ここには古代ローマ帝国の要塞が建てられていた。 また2500年前にはこの丘の上にケルトの町が建てられており、当時造られたコインが沢山発見されている。 かつて、この丘の下にはドナウ川の大きな浅瀬があったため、船舶による交易の拠点になっていた。 浅瀬の近くには交易のための道路が縦横に築かれ、戦略的に重要な意味を持っていた。
展望台の下にあるSouvenir Shop (15:00)MAP
ブラチスラヴァ城 (15:03)「北東方向」MAP ブラチスラヴァ城 (15:07)「南東方向」MAP
ブラチスラヴァ城 [Bratislavský hrad] (15:07)「東南東方向」MAP
ブラチスラヴァ城 [Bratislavský hrad] (15:08)「東方向」MAP
Rázusovo nábrežíe (15:20)「北東方向」MAP
Rázusovo nábrežíe (15:23)「北西方向」MAP
Rázusovo nábrežíe (15:24)「東方向」MAP
聖マルティン大聖堂 [Dóm svätého Martina] (15:25)「北方向」MAP
普通、教会の塔の先端は十字架で飾られているが、この教会は戴冠式が行われた教会であることから王冠のレプリカで飾られている。 右の建物はパルフィー宮殿。
ジーグモンドの門 [Žigmundova brána] (15:26)「西北西方向」MAP
中央に見える三角屋根の門は、15世紀の初めに建てられたゴシック様式の門で、オリジナルのままで残っている。
疫病ペストのモニュメント (15:27)「南西方向」MAP
現在ブラチスラヴァの人口は約50万人で、300年前 (18世紀の初め) のブラチスラヴァの人口は約1万人であった。 その時、ペストが大流行し約40% の人が亡くなった。 この像は270年前に造られた物で、右の像は初代ハンガリー王 (聖イシュトヴァーン) を表しており、彼は手にハンガリーの王冠を持っている。 左の像は聖母マリアの像で、全体はバロック・スタイルで造られている。
聖マルティン大聖堂 [Dóm svätého Martina] (15:29)「北方向」MAP
ゴシック・スタイルで造られた建物で、塔の先端はレプリカの王冠で飾られている。 王冠の高さは約2m、重さは約300Kgで最後の戴冠式の後19世紀の中頃に造られた。
「北方向」MAP 「北北西方向」MAP
城壁の跡 (15:30)
旧市街の周りは14~15世紀には城塞都市として城壁と4つの門で囲まれていたが、マリア・テレジアの時代18世紀の終わりに町を広げる目的で城壁と3つの門が取り壊され、唯一ミハエル門 [Michalská brána] のみ残されている。 黄色の建物の下には取り壊された城壁の一部が残されている。
壊された門のメモリアルプレート (15:31)MAP
この場所には、14世紀に門が建てられ、1777年に取り壊されたことが記されている。
聖マルティン大聖堂 [Dóm svätého Martina] (15:31)「北西方向」MAP
スロヴァキアはカトリックの国で多くのカトリック教会がある。 旧市街には13世紀の終わりに建てられたセント・フランシスコ教会、1400年に建てられたセント・キアラ教会、そして一番重要なカトリック教会で、1452年に建てられたこの教会、聖マルティン大聖堂がある。 この教会の建築には約200年の歳月をかけゴシック・スタイルで建てられており、今尚ゴシック・スタイルの窓、ステンドグラス、アーチが残っている。 この教会の大きな出来事は、ハンガリー王の戴冠式が19回行われたことで、マリア・テレジアも24歳の時 (1741年) 、ここで戴冠式を行っている。 戴冠式には有名な作曲家が戴冠式のミサを指揮している。 例えば、サリエリ [Salieri] 、ベートーヴェン [Beethoven]、リスト [ Liszt] などがそれで、リストは戴冠式のミサとエステルゴムのミサを指揮している。 この町にはスロヴァキア語、ドイツ語、ハンガリー語を話す人が混在しているため、日曜日には、スロヴァキア語、ハンガリー語、ドイツ語、ラテン語の4回ミサを行うことが伝統になっている。 ちなみに、16年前ヨハンパウロ2世ローマ法皇がこの教会を訪れミサを行っている。
リストの胸像 [Liszt mellszobra] (15:35)「北東方向」MAP
リスト [Liszt] はハンガリーの有名なピアニストであり作曲家。 彼はこの町で約20回のピアノコンサートを開いている。 かつて、この町はハンガリーの首都だったため多くの貴族が住んでおり、貴族の屋敷がコンサートホールとしてよく使われていた。 モーツァルト [Mozart] も6歳の時に、この町で1回演奏を行っている。
デンマーク大使館 (15:37)「南東方向」MAP
左にEUの旗、右にデンマークの国旗が掲げられている。 この館は有名なドイツの作曲家ベートーベン [Beethoven] の記念場所であり、ここで彼はピアノの先生として働いていた。
デンマーク大使館 (15:38)「南東方向」MAP
旧市街には大使館や博物館、美術館、劇場、図書館、展示場などが多く、かつての貴族の館は主に大使館として使用されている。 
かつてのオペラ座 (15:39)「北北西方向」MAP
このロココ・スタイルの建物は、マリア・テレジアの時代にオペラ座として使用されていた。 マリア・テレジアはウィーンから足繁く通っていた。
かつてのオペラ座 (15:39)「南西方向」MAP
旧市街は18世紀のマリア・テレジアの時代 (約40年間) に大きく発展した。 そして彼女は黄色を好んだため18世紀に建てられた建物の外壁は黄色で染められている物が多い。
オーストリア大使館 (15:40)「北東方向」MAP
モーツァルト [Mozart] の記念場所。 モーツァルトは1756年1月27日、ザルツブルク (オーストリア) に生まれ、約4歳の頃から父親とお姉さんと一緒にヨーロッパの各都市を旅行しながらコンサートを開き演奏していた。 最初の旅行の時ウィーンからこの町へやって来てこの館でコンサートを開いた。 (1762年、6歳の時)
オーストリア大使館 (15:40)「北北東方向」MAP
オーストリア大使館 (15:40)「北東方向」MAP
1762年 (6歳の時) にモーツァルト [Mozart] がこの館でコンサート演奏したことを記したメモリアルプレート。
オーストリア大使館 (15:41)「北方向」MAP
Ventúrska通り (15:41)「北方向」MAP
ミハエル門 [Michalská brána] (15:44)「北方向」MAP
旧市街の周りは14~15世紀には城塞都市として城壁と4つの門で囲まれていたが、マリア・テレジアの時代18世紀の終わりに町を広げる目的で城壁と3つの門が取り壊され、唯一ミハエル門 [Michalská brána] のみ残されている。
リストのデビューを記念したプレート (15:44)「北北西方向」MAP
1820年 (9歳の時) にリスト [Liszt] は初めてこの館でコンサート演奏を行った。 
大学図書館 (15:45)「北北西方向」MAP
リストがデビューを果たしたこの館は、現在ブラチスラヴァの大学図書館 [Univerzitná Knižnica V Bratislave] として使用されている。
ヴェントゥルスカ [Ventúrska] 通り (15:45)「北方向」MAP
ヴェントゥルスカ [Ventúrska] 通り (15:45)「北方向」MAP
ミハエル門 [Michalská brána] (15:46)「北方向」MAP
一番上にはミハエル大天使の彫刻があることからこの名で呼ばれている。 マリア・テレジアの時代にバロックスタイルの屋根と彫刻が付け加えられ、ブラチスラヴァのランドマークになっている。
セント・キアラ教会 (セント・クララ教会) (15:47)「西南西方向」MAP
Santa ChiaraまたはSanta Claraと呼ばれる教会で、この教会はパリのノートルダム寺院に似ていることから、よくブラチスラヴァ・ノートルダムと呼ばれることがある。 この教会は1400年にゴシック・スタイルで建てられ、現在は音楽堂、展示場として使われているが、ゴシック・スタイルの教会としての見応えは十分備えている。 
セント・キアラ教会 (セント・クララ教会) (15:47)「西南西方向」MAP
中央の小高い丘には、ブラチスラヴァ城 [Bratislavský hrad] が見えている。
セント・キアラ教会 (セント・クララ教会) (15:48)「南西方向」MAP
セント・キアラ教会 (セント・クララ教会) (15:48)「西南西方向」MAP
セント・キアラ教会 (セント・クララ教会) (15:48)「西南西方向」MAP
ミハルスカー [Michalská] 通り (15:50)「北方向」MAP
ミハエル門 [Michalská brána] (15:51)「北方向」MAP
かつて、旧市街の周りは14~15世紀には城塞都市として城壁と4つの門で囲まれていたが、マリア・テレジアの時代18世紀の終わりに町を広げる目的で城壁と3つの門が取り壊され、唯一ミハエル門 [Michalská brána] のみ残されている。 ミハエル門は旧市街の出入り口になっている。
ミハエル門 [Michalská brána] (15:51)「北方向」MAP
ミハエル門 [Michalská brána] は現在、町の歴史博物館として使われている。
ミハルスカー [Michalská] 通り (15:51)「北方向」MAP
中央広場 [Hlavné námestie] (15:54)「南東方向」MAP
中央広場にある日本大使館、建物の中心部に菊の御紋、その下には日本の国旗が掲げられている。
中央広場 [Hlavné námestie] (15:55)「南方向」MAP
この広場は昔から市が開かれ、お祭り、芝居、お祝い事、コンサートなどのイベントも行われていた。
中央広場 [Hlavné námestie] (15:55)「南西方向」MAP
周りには沢山のお土産店がある。 サインを装ったスリグループが横行しているので注意。
中央広場 [Hlavné námestie] (15:55)「西方向」MAP
中央の茶色の屋根でクリーム色の建物はフランス大使館の建物。
中央広場 [Hlavné námestie] (15:55)「南西方向」MAP
この広場は14~15世紀に建てられた。
中央広場 [Hlavné námestie] (15:58)「南南東方向」MAP
緑色の建物は日本大使館で、かつては貴族の屋敷であった。 1階はお店で、2~4階を日本大使館として使用している。 右の白い建物は、ギリシャ大使館。
中央広場 [Hlavné námestie] (16:04)「東方向」MAP
この広場には噴水があり、噴水にはマクシミリアン2世 [Maximilian II] の像が立っている。 マクシミリアン2世は初めてこの町で戴冠式を行ったハンガリー国王で、彼は戴冠式の10年後にこの噴水と像を造った。 (16世紀)
日本大使館の表札 (16:09)「南東方向」MAP
中央広場 [Hlavné námestie] (16:09)「南南東方向」MAP
日本大使館の建物、1階には店舗が入り、2~4階が大使館として使用されている。
中央広場 [Hlavné námestie] (16:10)「西方向」MAP
彼女の後方に見える建物は、フランス大使館。 この広場には3つの大使館がある。
旧市庁舎 [Stará radnica] (16:11)「北北西方向」MAP
中央広場にある旧市庁舎で、現在は市歴史博物館として使われている。
中央広場 [Hlavné námestie] (16:12)「南南西方向」MAP
左手の緑の建物は、日本大使館が入っている建物。 1階は店舗として使用されている。
旧市庁舎 [Stará radnica] (16:13)「北方向」MAP
中央広場にある旧市庁舎で、現在は市歴史博物館として使われている。
配管工の像 [socha inštalatéra]  通称: "見つめる君" (16:17)「南東方向」MAP
マンホールから上半身を乗り出し、いつも笑顔で見つめるブロンズ像。 この他、旧市街には日本大使館の前にある衛兵、フランス大使館の前にあるナポレオン、カメラを構えたパパラッチなどのブロンズ像があるが、この"見つめる君"が一番有名。 これらは約16年前に造られている。
「西南西方向」MAP 「南方向」MAP
スロヴァキアからオーストリアに向かう途中にあるスロヴァキア側の国境検問所跡 (16:43)
現在はシェンゲン協定によって使用されていない。
ルネッサンス・ウィーン・ホテル [Renaissance Wien Hotel] (オーストリア) (17:45)MAP
(17:45)MAP (17:46)MAP
(17:46)MAP (18:05)MAP
(18:05)MAP (19:22)MAP
ルネッサンス・ウィーン・ホテル [Renaissance Wien Hotel] (オーストリア)


back home next