旅の栞(チェコ)

7月26日 (地図)

チェスキー・クルムロフ [Český Krumlov]
Early-morning walk (地図)


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チェスキー・クルムロフ [Český Krumlov]
チェスキー・クルムロフ*は、1992年にユネスコの世界遺産に加えられた世界で最も美しい町のひとつ。 13世紀に南ボヘミアの貴族ヴィートコフ家 [Vitkov] によって城が築かれたのが、チェスキー・クルムロフの歴史の始まり。 14世紀以、町では手工業と交易が盛んになった。 16世紀、特に領主ウィルヘルム・フォン・ローゼンベルク [Wilhelm z Rožemberku] の時代には、ルネサンス様式の建物が数多く建築され、町は色彩鮮やかな華麗なるルネサンス都市へと変貌を遂げる。 しかしその後、町の華やかな装いとは裏腹に、ローゼンベルク家の財政は次第に破綻を来たすようになり、ついに借金の抵当に入れられたクルマウ(チェスキー・クルムロフ)は、1601年、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の手に渡る。 その後、1622年、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世は、当時、神聖ローマ帝国全土を巻き込んでいた三十年戦争において、財政面を含む貢献のあったエッゲンベルク家 [Eggenberg] にこの町を与えた。 この時代に、町にはバロック様式の建築物が加わった。 1719年、エッゲンベルク家は断絶し、有力貴族のシュヴァルツェンベルク家 [Schwarzenberku] が町と城を相続する。領主ヨーゼフ・アダム・シュヴァルツェンベルク [Josef Adam ze Schwarzenberku] の時代に、城はバロック様式に改築され、後に有名となる城内劇場(バロック劇場)が完成した。 エッゲンベルク家 、シュヴァルツェンベルク家へと支配が移り変わるうち、次第に近代化から取り残され、そのおかげで、最も繁栄した時代の風景が損なわれることなく現在まで保存されている。
*「チェスキー」はチェコを意味し、「クルムロフ」は曲がった川辺の地を意味するドイツ語に由来するといわれている。
ラトラーン通り [Latrán] (07:37)「南南東方向」MAP
城への入口、赤い門 [Cervená brána] (07:39)「南西方向」MAP
城への入口、赤い門 [Cervená brána] (07:39)「南西方向」MAP
赤い門 [Cervená brána] (07:40)「西南西方向」MAP
チェスキー・クルムロフ城 [Castle Český Krumlov] の第1の中庭 (07:41)「西南西方向」MAP
チェスキー・クルムロフ城 [Castle Český Krumlov] の第1の中庭 (07:41)「西南西方向」MAP
チェスキー・クルムロフ城 [Castle Český Krumlov] の第1の中庭 (07:42)「西南西方向」MAP
チェスキー・クルムロフ城 [Castle Český Krumlov] の第1の中庭 (07:42)「西南西方向」MAP
チェスキー・クルムロフ城の塔 [Castle Tower, Český Krumlov] (07:43)「南西方向」MAP
城の塔はチェスキー・クルムロフで最初に建てられた建築物。 最初は13世紀 (1253年) に建てられたが、今の姿になったのはルネサンス時代になってから。
チェスキー・クルムロフ城の塔 [Castle Tower, Český Krumlov] (07:43)「南西方向」MAP
チェスキー・クルムロフで最初に建てられた建築物がお城の塔で、南ボヘミアの豪族ヴィティーク家(Vitek)によって1253年に建てられた。
チェスキー・クルムロフ城の第2の中庭への門 (07:44)「西方向」MAP
第2の中庭への門 (07:45)「西方向」MAP A5
この橋の下は空堀になっており、3頭の熊が飼われている。
チェスキー・クルムロフ城の塔 [Castle Tower, Český Krumlov] (07:45)「南南西方向」MAP
チェスキー・クルムロフ城の塔 (07:45)「南南西方向」MAP
チェスキー・クルムロフ城 [Castle Český Krumlov] の第2の中庭 (07:46)「西北西方向」MAP
チェスキー・クルムロフ城 [Castle Český Krumlov] の第2の中庭 (07:47)「南東方向」MAP
チェスキー・クルムロフ城 [Castle Český Krumlov] の第2の中庭 (07:47)「東南東方向」MAP
(07:47)「西方向」 (07:48)「西方向」
第2から第3の中庭への通路 MAP
第2の中庭から第3の中庭への通路からの眺め (07:48)「南西方向」MAP
第2中庭から第3中庭への途中にあるテラスからの眺め (07:50)「南東方向」MAP
第2中庭から第3中庭への途中にあるテラスからの眺め (07:50)「南方向」MAP
第2中庭から第3中庭への途中にあるテラスからの眺め (07:50)「南方向」MAP
第2中庭から第3中庭への途中にあるテラスからの眺め (07:50)「南南西方向」MAP
第2中庭から第3中庭への途中にあるテラスからの眺め (07:50)「南方向」MAP
第2中庭から第3中庭への途中にあるテラスからの眺め (07:50)「南南東方向」MAP
第2中庭から第3中庭への途中にあるテラスからの眺め (07:51)「南東方向」MAP
第3の中庭 (07:51)「西方向」MAP
壁面は一見、凸凹で立体的に見えるが実は平面に書かれた騙し絵。
第3の中庭 (07:51)「西方向」MAP
第3の中庭 (07:52)「東北東方向」MAP
第3の中庭 (07:52)「東北東方向」MAP
壁面は一見、凸凹で立体的に見えるが実は平面に書かれた騙し絵。
「南南西方向」 「東南東方向」
第4の中庭 (07:53) MAP
第4の中庭 (07:53)「南南西方向」「東方向」MAP
第4の中庭から第3の中庭方向を望む (07:53)「東北東方向」MAP
第4中庭から第5中庭への橋廊方向を望む (07:54)「西南西方向」MAP
第4の中庭と第5の中庭を結ぶ橋廊 (07:54)「南南東方向」MAP
第4の中庭と第5の中庭を結ぶ橋廊 (07:55)「南西方向」MAP
橋廊からの眺め (07:55)「南方向」MAP
第4の中庭と第5の中庭を結ぶ橋廊 (07:55)「西南西方向」MAP
橋廊からの眺め (07:56)「北北西方向」MAP
第5の中庭からの眺め (07:56)「東南東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (07:57)「南南東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (07:57)「南東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (07:57)「南東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (07:58)「東南東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (07:58)「南東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (07:58)「東南東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (08:00)「東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (08:00)「東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (08:01)「北東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (08:01)「東北東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (08:02)「南東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (08:03)「南東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (08:03)「東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (08:04)「南東方向」MAP
第5の中庭からの眺め (08:05)「南東方向」MAP
橋廊からの眺め (08:05)「南南東方向」MAP
橋廊からの眺め (08:05)「南南東方向」MAP
第4の中庭と第5の中庭を結ぶ橋廊 (08:05)「東北東方向」MAP
第4の中庭と第5の中庭を結ぶ橋廊 (08:06)「南西方向」MAP
橋廊から第4の中庭方向を望む (08:07)「東北東方向」MAP
第4の中庭 (08:07)「東北東方向」MAP
壁面は一見、凸凹で立体的に見えるが実は平面に書かれた騙し絵。
城内に掲示してある案内図 (08:07)
図中の 1.~ 5.の数字は、5つある中庭の位置を示している。
第3の中庭 (08:08)「東北東方向」MAP
通路の途中に設けられたテラス (08:08)「南南東方向」MAP
第3中庭から第2中庭への通路途中に設けられたテラスからは、聖ヴィート教会 [St.Vitus Church] の塔が顔をのぞかせている。
第2の中庭 (08:10)「東南東方向」MAP
かつて兵舎であった建物 (08:11)「北西方向」MAP
衛兵の組織はチェスキー・クルムロフで18世紀に結成され、彼らは単に城を守るのみではなく、要人がプラハやウィーンに赴くとき護衛としての役目も果たしていた。 また楽士でもあった彼らは、週末、町で演奏会を開き民衆を楽しませていた。 現在は城の図書館として使われている。 (第2の中庭)
ラゼブニッキー橋 [Lazebnický most] からの眺め (08:20)「北北西方向」MAP
かつて、橋のたもとに床屋があったため、ラゼブニッキー橋 (床屋橋) の名が付いた。 16世紀の頃の床屋は、浴場と病気の時に悪い血を抜くための瀉血の仕事も兼ねていた。
ヴルタヴァ川 [Vltava] の川縁からの眺め (08:21)「北東方向」MAP
ラドニチュニー通り [Radniční] (08:23)「北東方向」MAP
ラゼブニッキー橋 [Lazebnický most] からの眺め (08:23)「北方向」MAP
塔の下にある家の壁には "LAZEBNA" と書かれた看板が掛かっているが、ここはかつて床屋 [Lazebnic] であった名残で、現在はレストラン、カフェ、バー、パブ として使用されている。 すぐ側にある橋は16世紀の頃から床屋橋 [Lazebnický most] と呼ばれていた。
ラゼブニッキー橋 [Lazebnický most] からの眺め (08:24)「北方向」MAP


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