旅の栞(チェコ)

7月27日 (地図)

プラハ[Praha]{プラハ城と旧市街}(地図)


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プラハ [Praha]
  プラハ歴史地区は1991年、ICOMOSによる登録審査を経て、1992年、世界文化遺産として登録されている。 町の中心部にはスメタナの交響詩 『我が祖国』 で有名なヴルタヴァ (モルダウ) 川がゆったりと流れ、黄金色の日差しを受けたカレル橋が輝く。 西岸にはプラハ城が14世紀以来の偉容を見せ、東岸にはさまざまな歴史の舞台となってきた旧市街や新市街が広がる。 連なる赤い屋根の家々から、いくつもの塔が頭をのぞかせる様は、"百塔のプラハ" という呼名にふさわしい景観を呈している。 そのほか、"建築博物館の町" "ヨーロッパの魔法の都" "北のローマ" など、プラハを称賛する言葉は数多い。 14世紀、神聖ローマ帝国およびボヘミヤ王国の首都として繁栄を謳歌するプラハでは、現在まで残るプラハ城やカレル橋が既に造られていた。 しかし、プラハは美しいだけでない。 長い歴史を刻んできたそのほとんどの時代において、周辺国からの侵略や影響を多大に受けながらも民族的な誇りを失わず、自らの言葉と文化を守り続けてきた人々の気高い精神が町のすみずみにまで染みこんでいる。 この町には、連綿と受け継がれてきた本当のヨーロッパの姿が息づいている。 おもな世界遺産登録建築物として、プラハ城 (聖ヴィート大聖堂) 、カレル橋、旧市庁舎 (天文時計) 、旧市街広場、ティーン聖堂などが挙げられる。
ホテル エスプラナーデ プラハ (07:08) MAP ホテル エスプラナーデ プラハ (07:08) MAP
ホテル エスプラナーデ プラハ (07:11)「北西方向」 MAP
ホテル エスプラナーデ [Esplanade Hotel] 前のワシントノヴァ通り [Washingtonova] (07:12)「南南西方向」 MAP
ホテル エスプラナーデ [Esplanade Hotel] 前のワシントノヴァ通り [Washingtonova] (07:12)「北北東方向」 MAP
ホテル エスプラナーデ [Esplanade Hotel] 前のワシントノヴァ通り [Washingtonova] (07:12)「南南西方向」 MAP
国立博物館 [Národní muzeum] (07:14)「南南西方向」 MAP
左は国立オペラ劇場 [Státní Opera] 、右は国立博物館 (分館) [Národní muzeum] (07:15)「南南東方向」 MAP
ホテル エスプラナーデ プラハ [Esplanade Hotel Prague] (07:15)「北方向」 MAP
国立博物館 (分館) [Národní muzeum] (07:16)「南南西方向」 MAP
かつては証券取引所の建物であった。
プラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:21)「東北東方向」 MAP
プラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:22)「東北東方向」 MAP
プラハ本駅は、ほとんどすべての国際列車が発着するプラハ最大の駅。 
プラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:22)「東北東方向」 MAP
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:27)「南南西方向」 MAP
駅構内は改札などはなく、ホームまで簡単には入れる。 プラハ最大の駅にも拘わらず閑散としており、意外な印象を受けた。
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:28)「北北東方向」 MAP
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:28)「南南西方向」MAP
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:28)「北方向」 MAP
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:28)「南西方向」 MAP
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:29)「北北東方向」 MAP
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:29)「北方向」 MAP
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:30)「北東方向」 MAP
プラハ本駅のアクセス地下通路 (07:31)「東南東方向」 MAP
プラハ本駅のアクセス地下通路 (07:31)「北北西方向」 MAP
プラハ本駅のアクセス地下通路 (07:32)「西北西方向」 MAP
プラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:36)「東方向」 MAP
ホテル エスプラナーデ プラハ [Esplanade Hotel Prague] のフロント (07:40)「東南東方向」 MAP
国立博物館 (分館) [Národní muzeum] (08:20)「南東方向」 MAP
かつては証券取引所の建物であった。
国立博物館 [Národní muzeum] (08:21)「南方向」 MAP
1800年代の終わりに、ジョセフ・シュルツ [Joseph Schultz] いう建築家によって建てられたネオ・ルネッサンス方式の建物。 中は自然史の博物館になっており、おもな展示物は鉱物や化石、剥製などで、見る人によって好みが分かれる。
国立博物館 (分館) [Národní muzeum] (08:21)「東方向」 MAP
元は証券取引所の建物であった。
聖ヴァーツラフ [Svatý Václave] の騎馬像 (08:22)「西方向」 MAP
プラハの創設者は伝説によればリブシェだが、史料から実際のチェコ国家の創造者はボジヴォイと考えられており、そしてチェコ国家の創造と関連してプラハの町が創設されたと考えられている。 このポジヴォイの孫がヴァーツラフ一世である。 聖ヴァーツラフの下の台座には、四人のチェコの守護聖人 (聖ルドミラ、聖プロコプ、聖アネシュカ、聖ヴォイチェフ) が、聖ヴァーツラフを取り巻くように立ち、台座には、聖ヴァーツラフよ [SVATÝ VÁCLAVE] :チェコの地の大公よ、我らの公よ[VÉVODO ČESKÉ ZEMÉ ,KNÍŽE NÁŠ] :聖ヴァーツラフよ[SVATÝ VÁCLAVE] :我々をも未来の子孫をも滅びさせることなかれ[NEDEJ ZAHYNOUT NÁM I BUDOUCÍM] という詩句が刻まれている。 この角度からは "NEDEJ ZAHYNOUT NÁM I BUDOUCÍM" の文字が見える。
国立博物館 [Národní muzeum] (08:22)「南東方向」 MAP
1800年代の終わりに、ジョセフ・シュルツ [Joseph Schultz] いう建築家によって建てられたネオ・ルネッサンス方式の建物。 中は自然史の博物館になっており、おもな展示物は鉱物や化石、剥製などで、見る人によって好みが分かれる。
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:22)「北西方向」 MAP
長さは約750m、幅は広いところで約60mで、広場と言うよりは、大通りといった感じ。
聖ヴァーツラフ [Svatý Václave] の騎馬像 (08:23)「南南東方向」 MAP
プラハの創設者は伝説によればリブシェだが、史料から実際のチェコ国家の創造者はボジヴォイと考えられており、そしてチェコ国家の創造と関連してプラハの町が創設されたと考えられている。 このポジヴォイの孫がヴァーツラフ一世である。 ヴァーツラフの時代には、まだキリスト教と異教が対立していた。 熱心なキリスト教徒だったヴォーツラフは、キリスト教を広めることに努め、プラハ城に聖ヴィート聖堂を創建し、ドイツ人宣教師を招いた。 また、ヴァーツラフはドイツ王に臣従したため、このようなヴァーツラフのキリスト教的、親ドイツ的態度に反対する異教的な貴族達がいて、ヴァーツラフの実弟ボレスラフが彼らの先頭に立った。 ボレスラフはヴァーツラフを自分の領地に招いて暗殺した。 ヴァーツラフの遺骸はプラハの聖ヴィート聖堂に安置されたが、伝説によれば生前は模範的なキリスト教的統治者で、死後は奇跡を起こしたと言われる。 すでに10世紀のうちに崇拝の対象となり、聖ヴィート聖堂は重要な巡礼地となった。 ヴァーツラフは10世紀末にチェコおよび神聖ローマ帝国で聖人とされ、チェコの第一の守護聖人として盛んに崇拝されるようになった。
聖ヴァーツラフ騎馬像前のモニュメント(08:23)「東南東方向」 MAP
1918年10月28日にチェコスロバキア国がオーストリア・ハンガリー帝国から独立したことを記念したモニュメント。
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:24)「南東方向」 MAP
国立博物館 [Národní muzeum] を背にして立つ聖ヴァーツラフ騎馬像。 この銅像は2代目で、1代目は石で出来ており、現在はヴィシェフラッド [Vyšehrad] (チェコ語で高い城を意味する ) という城跡に移されている。
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:24)「東方向」 MAP
伝説の中の聖ヴァーツラフは、熱心に神に仕え、正義を守り実現する、模範的なキリスト教的統治者であると同時に、悪の攻撃に対して抵抗し敵を武装解除する、模範的な騎士でもある。 そのため聖ヴァーツラフ像はチェコ人の抵抗のシンボルという意味を持ってきた。 チェコに伝わる伝説によれば、チェコ人が外敵のために滅亡に瀕したとき、聖ヴァーツラフが馬にまたがってやって来て、魔法の剣でチェコ人を敵から解放するという。
ヤン・パラフとヤン・ザイーツの追悼記念碑 (08:25)「南方向」 MAP
1968年にチェコスロヴァキアでは "プラハの春" と呼ばれる大きな自由化運動がおこり、これを阻止するためソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍が突如国境を越えて、チェコスロヴァキア領内に侵攻した。 このような軍事的占領と反動に反対して、1969年1月19日にカレル大学生ヤン・パラフ [Jan Palach] はこの広場で抗議の焼身自殺を遂げ、その後、2月25日にはヤン・ザイーツ [Jan Zajíc] も抗議の自殺を遂げている。 意外にも、ヤン・パラフの焼身自殺は希望者が多く、抽選で選ばれたと言われている。
ヴァーツラフ広場にあるヤン・パラフとヤン・ザイーツの追悼記念碑 (08:26)「南東方向」 MAP
1848年以降、聖ヴァーツラフ像のあるプラハのヴァーツラフ広場は、たびたびチェコ人の抵抗運動が繰り広げられる舞台となり、そこの聖ヴァーツラフ像はチェコ人の抵抗のシンボルという意味合いを持っている。
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:28)「南東方向」 MAP
ヴァーツラフ広場は1848年以前は "馬広場" と呼ばれていたが、1848年革命で重要な舞台となったこの広場は、この時にやはり重要な意味を持った聖ヴァーツラフを記念して、"ヴァーツラフ広場" と改名された。 1905年には、ヴァーツラフ広場で普通選挙を求める大きなデモが行われた。 1918年のチェコスロヴァキア独立の直前には、ヴァーツラフ広場で独立を求めるデモが繰り広げられ、聖ヴァーツラフ像の前で独立宣言が読み上げられた。 1968年の "プラハの春" の改革の際には、ヴァーツラフ広場の聖ヴァーツラフ像の下はデモや公開討論の場となり、ソ連の軍事介入後は、多くの人々がここに座り込んで抗議を示した。 1969年1月には、カレル大学生ヤン・パラフが、聖ヴァーツラフ像の下で抗議の焼身自殺を遂げた。1989年の "ビロード革命" の際にもやはり、聖ヴァーツラフ像の下に人が集まり、ヴァーツラフ広場は民主化を求める人々で埋め尽くされた。 それ以後も、ヴァーツラフ広場は示威運動や集会など社会的出来事の重要な場であり、聖ヴァーツラフ像は公式記念行事の場となっている。
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:28)「北西方向」 MAP
1968年の"プラハの春" の改革の際には、ソ連が軍事介入し、至る所に銃弾の痕が残されていたが、1972~73年に修復工事が行われ、現在では当時の面影は残っていない。 当時は、広場の中央は路面電車が走っていたが、修復工事の際に一緒に撤去され、線路跡には草花が植えられている。
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:31)「南東方向」 MAP
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:31)「南東方向」 MAP
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:34)「北東方向」 MAP
前方を左右に横切る通りはヴァーツラフ広場。
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:34)「南南西方向」 MAP
この通りから貸し切りの路面電車に乗り、プラハ城 [Pražský hrad] へ向かう。
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:44)「北東方向」 MAP
この通りから貸し切りの路面電車に乗り、プラハ城 [Pražský hrad] へ向かう。
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:44)「東方向」 MAP
この通りから貸し切りの路面電車に乗り、プラハ城 [Pražský hrad] へ向かう。
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:44)「南南西方向」 MAP
この通りから貸し切りの路面電車に乗り、プラハ城 [Pražský hrad] へ向かう。
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:45)「北方向」 MAP
この通りから貸し切りの路面電車に乗り、プラハ城 [Pražský hrad] へ向かう。 この人は車掌さん、チェコでは伝統を守り今でも車掌さんが乗車している。 ただし、貸し切り車両のみで、一般車両は運転手のみ。

音楽演奏 Video Video

 
この路面電車は1915年製 (08:47)「北北西方向」 MAP
ラザルスカー [Lazarská] 通りを右折し、スパーレナー [Spálená] 通りへ入る。
路面電車から見る国民劇場 [Národni divadlo] (08:50)「南南西方向」 MAP
レギー橋 [Most Ledií] (チェコ軍団橋) (08:51)「南方向」 MAP
路面電車で渡るレギー橋 [Most Ledií] と、その下を流れるヴルタヴァ川 。
レギー橋 [Most Ledií] (チェコ軍団橋) (08:51)「北北東方向」 MAP
路面電車で渡るレギー橋 [Most Ledií] と、その下を流れるヴルタヴァ川 。
クラーロフ [Klárov] 通り (09:00)「北方向」 MAP
ホトコヴァ [Chotkova] 通り (09:01)「西方向」 MAP
路面電車のプラハ城駅 (09:06)「東方向」 MAP
路面電車のプラハ城駅 (09:06)「西南西方向」 MAP
ここで下車し、火薬橋通りを通ってプラハ城へ向かう。
火薬橋通り [U Prašného mostu ] (09:09)「南方向」 MAP
火薬橋通り [U Prašného mostu ] (09:09)「南東方向」 MAP
尖塔のある建物は、聖ヴィート大聖堂 [ Katedrála svatého Víta] 。
火薬橋 [Prašného mostu ] (09:10)「南方向」 MAP
橋の下は鹿の谷という堀で、鹿を飼っていたためこの名が付いた。
プラハ城 [Pražský hrad] の北に位置する通用門 (09:11)「南東方向」 MAP
中央は車道で、歩行者は左の衛兵の横を通り、第2の中庭へ入る。 衛兵の交代式は、毎正時に行われる。
プラハ城 [Pražský hrad] の北に位置する通用門 (09:11)「南東方向」 MAP
第2の中庭 (09:12)「南南東方向」 MAP
この庭の周りの建物は1700年代に、 ニコラパッカシー という建築家が建てたもので、現在は大統領の執務室や迎賓館として使用されている。 春と秋の特別公開日以外は一般には公開されていない。
第2の中庭 (09:13)「南東方向」 MAP
左の鳥かごのような物は井戸で、籠城に備え、城内に造られたもの。 右の噴水は彫刻家ジェロニーム・コール [Jeroným Kohl] の名を取って、コールの噴水 [Kohlova kašna] と呼ばれている。 井戸と噴水の間に見える白い建物は、聖十字架礼拝堂 [Kaple svatého Kříže] 。
コールの噴水 [Kohlova kašna] (09:14)「南南東方向」 MAP
この噴水は、1686年に彫刻家ジェロニーム・コール [Jeroným Kohl] と石工フランチェスコ·バルトロメオ·デッラ·トッレ [Francesco Bartolomeo della Torre] によって造られた。 前者の名を取ってコールの噴水と呼ばれている。 左横の白い建物は、聖十字架礼拝堂 [Kaple svatého Kříže] 。
第2の中庭にある井戸 (09:14)「東方向」 MAP 聖ヴィート大聖堂 (09:16)「東北東方向」 MAP
第3の中庭にある、聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:17)「東北東方向」 MAP
この大聖堂は、プラハ城の主教会であり、ボヘミア大司教座教会であり、プラハ城のシンボルでもある。 城の敷地内に大聖堂があるという例はヨーロッパでも珍しく、プラハ城の荘厳さを増している。 建て始めたのが1344年、完成したのが1929年9月28日で、聖ヴァーツラフの殉教1000年記念の日に、完成した姿で公開された。 工事は途中々断されていたが585年の歳月をかけて建てられた。 大聖堂の正式名称は「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイチェフ 大聖堂」 [Katedrála svatého Víta, Václava a Vojtěcha] で、3人の聖人の名を冠している。
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:17)「東北東方向」 MAP
正門の左にある、通用門から聖堂内へ入る。
拝廊から主祭壇を望む (聖ヴィート大聖堂) (09:18)「東北東方向」 MAP
この教会の建築は途中、中断をはさんで完成したため、翼廊部より向こう側が古い部分、こちら側が新しい部分になっている。
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:18)「東北東方向」 MAP
天井の高さは33.2メートルあり、ゴシック様式で造られている。 天上に近づくため、縦の線を多用してより高く見えるように工夫されている。
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:18)「東北東方向」 MAP
この教会の大きさは、縦124メートル、横幅60メートル、高さ33.2メートルである。
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:19)「北方向」 MAP
側廊部の窓には多くのステンドグラスが嵌めこまれている。 作品は比較的新しく1920~1930年代に作られた物。
〖八つの幸福〗(09:19)「北北西方向」 MAP
キリストは "山上の垂訓" (さんじょうのすいくん) という話の中で "八つの幸福" について語った。 この "八つの幸福" が主題になっている。 八つの幸福とは、 『 1、心の貧しい者は幸いです。 2、悲しむ者は幸いです。 3、柔和な者は幸いです。 4、義に飢え渇いている者は幸いです。 5、あわれみ深い者は幸いです。 6、心のきよい者は幸いです。 7、平和をつくる者は幸いです。 8、義のために迫害されている者は幸いです。』 を意味する。
〖ヤン・ネポムツキーとシュヴァルツェンべルクの生涯〗(09:20)「北方向」 MAP
旧約聖書から題材が取られ、右は "イサクの犠牲" 、左は "ハガル" の追放を表している。 真ん中の下の部分は、南ボヘミヤの領主シュヴァルツェンべルク家の紋章が表されている。
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:21)「東北東方向」 MAP
主祭壇の上にあるステンドグラスの真ん中の上は、三位一体を表したステンドグラスで、精霊と神様とキリストを表している。 白い鳩が精霊を表し、王冠をかぶっているのが神様、その下がキリストを表している。 その右のステンドグラスで、赤いマントを着て旗を持っているのが聖人ヴァーツラフ、その後ろでシュロの葉を持って小首を傾げているのが聖ヴィート、その下でこの教会の模型を捧げ持っているのが、この教会を建てるように言ったカレル4世を表している。
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:21)「西南西方向」 MAP
天地創造を表したバラ窓で、幅は10.6メータ、2万7千枚余りのガラスと261コの石を使った作品。(インスブルック製)
〖聖キリルと聖メトディウスの下におけるキリスト教の伝道と
聖ルドミラと聖ヴァーツラフの下におけるキリスト教の広がり〗(09:21)「南南西方向」 MAP
一番有名なステンドグラス、アルフォンス・マリア・ミュシャ [Alfons Maria Mucha] の作品。
〖ペンテコステ [Pentecostes] (五旬節)〗(09:22)「南西方向」 MAP
新約聖書のエピソードの1つ、『復活したイエスは弟子たちに「近いうちに聖霊が降る」ことを告げて、天に昇っていく。それから10日後、ユダヤ教の五旬祭 (ごじゅんさい) の日に使徒 (12人) とイエスの母や兄弟たち、イエスに従った女たちが集まって祈っていると、激しい風のような音が聞こえ、天から炎のような舌が一人ひとりの上に分かれて降った。集まって祈っていた信徒たちは聖霊に満たされ、さまざまな国の言葉で話せるようになり、各地に伝道に出かけていった。』 を表したもの。 ちなみに、使徒12人のうち9人にはマントや帯に名前が書いてあるが、上の3人 (マリア、ヨハネ、ペテロ) には、名前は書かれていない。
〖慈悲〗(09:23)「南東方向」 MAP
中央部には捕らわれた動物を放している場面を表現し、その周りには病人の世話をしている人や、貧しい人々に食べ物を与えている人たちを表現しいる。
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:23)「北方向」 MAP
側廊部の窓には多くのステンドグラスが嵌めこまれている。 作品は比較的新しく1920~1930年代に作られた物。
第3の中庭にある、聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:31)「北方向」 MAP
この大聖堂は、プラハ城の主教会であり、ボヘミア大司教座教会であり、プラハ城のシンボルでもある。 城の敷地内に大聖堂があるという例はヨーロッパでも珍しく、プラハ城の荘厳さを増している。 建て始めたのが1344年、完成したのが1929年9月28日で、聖ヴァーツラフの殉教1000年記念の日に、完成した姿で公開された。 工事は途中々断されていたが585年の歳月をかけて建てられた。 大聖堂の正式名称は「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイチェフ 大聖堂」 [Katedrála svatého Víta, Václava a Vojtěcha] で、3人の聖人の名を冠している。
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:31)「北方向」 MAP
ゴシック様式の教会には、出入り口に塔が設けられている。 左に見える西側の塔は82メートルあり、中央に見える南側の塔は、この教会で一番高く、96.5メートルある。 この塔と、塔に設けられている時計は1500年代の物で、時計は上下に、二つ付けられている。 上の時計は "時" のみを示し、下の時計は "分" のみを示す、二つで一つの時計になっている。 ちなみに、この時点で、9時31分を示している。
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:32)「北方向」 MAP
当初、中央に見える塔から右側の建物のみが完成し、使用されていたが、1800年代に民族運動が高まり、民族の象徴として完成させることになった。 中央に見える塔の右側には、1370年に作成された "黄金の扉" (ゴールデン・ポータル) と呼ばれる元の入口 がある。 その上はベネチアから連れてきたモザイク細工師による、"最後の審判" のモザイク細工で飾られている。
第1の中庭 (09:41)「西南西方向」 MAP
中庭側から見るプラハ城 [Pražský hrad] の正門。 門の左右には、棍棒と短刀を持ち戦う巨人が立つ。 右に見える白い建物は、大司教宮殿 [Arcibiskupský palác] 。
マティアス門 [Matyášova brána] (09:41)「北北東方向」 MAP
ハプスブルグの王、マティアスによって造られた門で、門の上には金文字で 『D. MATTHIAS EL ROM. IMP. S. AVG. HVNG BOH. REX. 2C. F F ANO MDCXIV』 (マティアス、ローマの皇帝、ボヘミア・ハンガリーの王、1614年) と書かれている。 その両側にはモラヴィア産のモミの木で出来た高さ25メートルの旗竿がありチェコの国旗が掲げられている。
第1の中庭 (09:42)「北北東方向」 MAP
マティアス門とモラヴィア産のモミの木で出来た旗竿。
第1の中庭 (09:42)「北北東方向」 MAP
マティアス門とモラヴィア産のモミの木で出来た旗竿。
正門前に広がるフラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:43)「西南西方向」 MAP
中央やや左に見える鱗状の壁面をもつ建物は、シュヴァルツェンベルク宮殿 [Schwarzenberský palác v Praze] 。 右端の白い建物は、大司教宮殿 [Arcibiskupský palác] 。
フラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:43)「南南西方向」 MAP
この辺りは、1300年代から人が住み始め、1541年にプラハ市が大火に遇った後は、貴族の館が建ち並ぶようになった。 写真の建物は、かつてファルムという貴族の館だった。 
フラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:43)「南方向」 MAP
この広場からは、プラハ市街が一望できる。
プラハ城 [Pražský hrad] の正門前に広がるフラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:43)「南西方向」 MAP
中央に見える彫像はチェコスロバキア初代大統領 トマーシュ・ガリッグ・マサリク [Tomáš Garrigue Masaryk] の彫像。 
プラハ城の正門前に広がるフラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:43)「西南西方向」 MAP
右端は、大司教宮殿 [Arcibiskupský palác] 。 中央奥に見える建物は、トスカーナ宮殿 [Toskánský palác] (現在はチェコ共和国外務省) 。 その左の屋根に十字架のある建物は、聖ベネディクト教会 [Kostel svatého Benedikta] 。 その手前に見える鱗状の壁面をもつ建物は、シュヴァルツェンベルク宮殿 [Schwarzenberský palác v Praze] で現在はナショナルギャラリーのバロック芸術部門として使用されている。 その手前は、ファルムという貴族の館だった。 
プラハ城 [Pražský hrad] の正門 (09:44)「東北東方向」 MAP
門を入ったところにある建物は、迎賓館として使用されている。
プラハ城 [Pražský hrad] の正門 (09:44)「東北東方向」 MAP
フラッチャニ広場から見る、プラハ城の正門。  門の左右には、彫刻家イグナーツ・プラツェルの作品、棍棒と短刀を持ち戦う巨人の像が立つ。 (1768年の作品だが、20世紀の初めに複製されている) 
フラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:45)「南東方向」 MAP
この広場からは、プラハ市街が一望できる。
プラハ城の正門 (09:46)「北北東方向」 MAP
門を入ったところにある建物は、迎賓館として使用されている。
フラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí](09:46)「北北東方向」 MAP
大司教宮殿 [Arcibiskupský palác] (09:46)「北西方向」 MAP
フラッチャニ広場に面して建つ大司教宮殿 。 現在でも大司教が使用している。
プラハ城からの展望 (09:47)「東南東方向」 MAP
緑の屋根が見えているのが 聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše] その向こうにあるカレル橋に向かって歩く。 (橋は見えていない)
プラハ城から市街を望む (09:47)「南東方向」 MAP
プラハ城から市街を望む (09:47)「南南東方向」 MAP
プラハ城から市街を望む (09:47)「南方向」 MAP
プラハ市街を一望できるテラス、右はフラッチャニ広場 (09:48)「西南西方向」 MAP
プラハ市街を一望できるテラス、左はプラハ城 (09:48)「北東方向」 MAP
プラハ城から市街を望む (09:49)「南東方向」 MAP
ネルドヴァ 通り [Nerudova] (09:51)「東南東方向」 MAP
ネルドヴァ通りの名称は、かつて、この通りに ヤン・ネルダ [Jan Nepomuk Neruda] という作家が住んでいたために付けられた名前。 この通りは古い通りで、かつては番地がなく、番地代わりに入口の上に描かれた家紋によって区別されていた。
ヤン・ネルダの家 (09:53)「南方向」 MAP
かつて、この家にはチェコのジャーナリストであり、19世紀のチェコを代表する作家、詩人であるヤン・ネルダ [Jan Nepomuk Neruda] が住んでいた。 入口の上には2つの太陽の家紋が描かれていて、2つの太陽の家と呼ばれていた。
ネルドヴァ 通り [Nerudova] (09:54)「南西方向」 MAP
ヤン・ネルダが住んでいた右隣の家には、白鳥がデザインされており、白鳥の家と呼ばれ、右に見える緑の家には星が描かれていて、星の家と呼ばれていた。 かつては、これらの家紋が番地代わりをしていた。 
ネルドヴァ 通り [Nerudova] (09:55)「東南東方向」 MAP
3つの番地が付いている家。 一番上にある白地に赤で書かれた番地は、マリア・テレジアの時代に初めて使われた番地で、現在は青地に白で書かれた地域を示す番地と、赤地で白で書かれた通りを示す番地が使われている。 ちなみに、入口の上には、家紋のザリガニが見える。
ネルドヴァ 通り [Nerudova] (09:55)「東方向」 MAP
ネルドヴァ 通りにあるイタリア大使館 (09:57)「東北東方向」 MAP
かつての貴族の館は、官庁や学校、大使館などとして使用されている。
ネルドヴァ 通り [Nerudova] (09:58)「東方向」 MAP
写真の右上には、赤い羊の家紋がある。 これらの番地代わりの家紋はハフ°スフ゛ルク家の女帝として名高いマリア・テレジアの政策で本格的に番地表示が始まる1770年頃までつづいたといわれる。
トゥーン・ホーエンシュタイン宮殿 [Thun-Hohenstein palác] (09:59)「北北東方向」 MAP
かつて、貴族の館であったが、現在はイタリアの大使館として使用されている。 入口の両側にはホーエンシュタイン家の紋章である鷲が施されている。
マラー・ストラナ広場 [Malostranské náměstí] (10:01)「南東方向」 MAP
聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše] をぐるりと囲む大きな広場。
聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše] (10:02)「南東方向」 MAP
もとは13世紀後半に建てられたゴシック建築の教会だったが、19世紀初頭から約半世紀をかけて、豪華で壮麗なバロック様式の教会になった。 ちなみに、モーツァルトは1787年にこの教会でオルガン演奏をしたことがあり、モーツァルトが死去したときには世界に先がけて追悼ミサが行われた。 この建物はイエズス会のために建てられた建物で、左の白壁の部分はイエズス会の修道士の家だったところ。
ペスト円柱 (三位一体柱) (10:02)「東方向」 MAP
18世紀初頭に、プラハで流行したペストの終焉を記念して建てられた。
聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše] (10:04)「東北東方向」 MAP
屋根にある十字架の下のに "IHS" の文字がデザインされているのは "神は我々と共にある" という意味で、イエズス会の教会には、よく付けられている紋章。 その "IHS" の紋章の下に立っているのは、ミクラーシュ [Mikuláše] の彫像で、その両脇には4体の彫像が立っている。 左に立つ2体のうち、左のタブレットを持った彫像は、イエズス会の創設者イグナチオ・デ・ロヨラ [Ignacio López de Loyola] 、その右で鍵を持っている彫像は、聖ペテロ [Svatý Petr] 、右に立つ2体のうち、左の剣を持った彫像は、聖パウロ [Svatý Pavel] 、その右に立つ彫像は、フランシスコ・ザビエル [Francis Xavier] 。
リヒテンシュタイン宮殿 [Lichtenštejnský palác] (10:04)「北北西方向」 MAP
左の水色の建物は、現在はプラハ芸術アカデミー音楽学部の校舎およびコンサートホールとなっているリヒテンシュタイン宮殿。 ビーラー・ホラ [Bílá hora] (白山) の戦いに勝利し、チェコ貴族たちを処刑したカール・リヒテンシュタイン公が居を構えていた場所。 中央やや左の高い建物はヴィート大聖堂。
聖ミクラーシュ教会とマラー・ストラナ広場 (10:08)「北西方向」 MAP
カレル橋 [Karlův most] (10:13)「東南東方向」 MAP
カレル4世が1357年に建築家ペトル・パルレー [Peter Parler] に造らせたもので、長さ 516メートル、幅 9.6メートルある。 この橋は南から北へ流れる ヴルタヴァ川 (チェコ語:Vltava, ドイツ語:Moldau) に架かけられた橋で、欄干に彫像があることで有名。 彫像は最初からあったわけではなく、1600年代後半から1体ずつ奉納のようなかたちで、付け加えられていった。 彫像は30体あったが、現在は1体すくなく南側15体、北側14体の計29体になっている。 そのうち、28体が石像、1体が銅像で全て聖人像である。 (12体はレプリカで、17体はオリジナル)
2つの橋塔 (10:15)「西北西方向」 MAP
カレル橋の小地区 [MALÁ STRANA] 側には2つの橋塔がある。 12世紀の初め、現在のカレル橋のやや上流に木造の橋がかけられていたが、その橋は12世紀半ばの洪水で流されてしまった。 そこで今度は新しく石橋が建造され、ヴラティスラ2世の第2妃の名をとってユディット橋 [Juditin most] と名付けられた。 しかし、この橋も1342年の洪水で破壊されてしまった。 その後、カレル4世の命によって1357年に着工し60年近くかけて完成されたのが現在のカレル橋である。 2つの橋塔のうち、左側の低い塔は元々ユディット橋に付けられていたもので、1591年に修復され現在の外観になっている。 また、大きい方は1464年にポジェブラディ王の発案で古くからあった塔の跡に建てられたものである。 (塔内は見学できる)
修道院水車 [Velkopřevorský mlýn] (10:15)「南南西方向」 MAP
修道院水車は、12世紀ごろウラジスラフ1世 [Vladislav I.] の要請により "鎖下の聖母教会" [Kostel Panny Marie pod řetězem]に居を構えていたマルタ騎士団 [Maltézský řád] によって建設された。 その後様々な変遷を経て、現在はカンパ島 [Kampa] のシンボルとして再建されている。
修道院水車 [Velkopřevorský mlýn] (10:15)「南南西方向」 MAP
"鎖下の聖母教会" [Kostel Panny Marie pod řetězem] は水車から右 (西) へ 約50メートル入ったところにある。 水車の建設に合わせて、この運河も掘られている。 運河の左手が、カンパ島 [Kampa] 。
カレル橋の名物バフォーマー (10:19)「南方向」 MAP
手動のオルガンを弾きながらCDを売っている。
聖ヤン・ネポムツキー像の台座にあるレリーフ (10:19)「東北東方向」 MAP
カレル大学で神学を学んだヤン・ネポムツキーは、十数年間ハブェル教会で説教師をしたのち、司祭として宮廷に仕えていた。 一説によると、ある日、彼は職務でジョフィエ王妃の懺悔を聞く。 国王ヴァーツラフ四世は、王妃に不貞の疑いを抱き、ネポムツキーに告解の内容を明かすよう迫る。 いかし、脅しても一言も漏らそうとしない態度に激怒した国王は、ネポムツキーの舌を切り取り、カレル橋から突き落として溺死させてしまった。  この言い伝えを題材にレリーフは造られている。 ちなみに、レリーフに手 (心臓に近い左手) を触れると幸運が訪れるとの言い伝えから、触れられた部分だけが輝いている。
聖ヤン・ネポムツキー像の台座にあるレリーフ (10:20)「北西方向」 MAP
ヤン・ネポムツキーが、カレル橋からヴルタヴァ(モルダウ)川に投げ込まれる様子をあらわしている。
聖ヤン・ネポムツキー [Svatý Jan Nepomucký] 像 (10:20)「北方向」 MAP
ほかの像は全て石造りであるのに、この像だけはブロンズで造られている。 十字架を抱え、右手に棕櫚の枝を持ち、頭上に五つの星が円を描いている。
聖ヤン・ネポムツキー像の台座にあるレリーフ (10:21)「北西方向」 MAP
跪いて懺悔している女性が王妃ジョフィエ、壁の向こうに足だけが見えているのがヤン・ネポムツキー、犬を連れ鎧を着た男性が国王ヴァーツラフ四世をあらわしている。
聖ヤン・ネポムツキー像とプラハ城 (10:22)「北西方向」 MAP
聖ヤン・ネポムツキー像とプラハ城 (10:22)「北西方向」 MAP
カレル橋 [Karlův most] (10:23)「北西方向」 MAP
カレル橋 [Karlův most] (10:23)「北西方向」 MAP
カレル橋 [Karlův most] とプラハ城 (10:24)「西北西方向」 MAP
プラハ城 [Pražský hrad] (10:26)「北西方向」 MAP
カレル橋から見るプラハ城 (10:27)「西北西方向」 MAP
カレル橋から見るプラハ城 (10:27)「西北西方向」 MAP
カレル橋 [Karlův most] (10:28)「北西方向」 MAP
カレル橋 [Karlův most] (10:28)「北西方向」 MAP
カレル橋 [Karlův most] (10:28)「西北西方向」 MAP
カレル橋 [Karlův most] (10:29)「西方向」 MAP
カレル橋 [Karlův most] (10:29)「西方向」 MAP
カレル橋 [Karlův most] (10:29)「東南東方向」 MAP
東側 (旧市街側) の橋塔。
カレル橋 [Karlův most] (10:32)「北西方向」 MAP
東側 (旧市街側) の橋塔門 (10:35)「東方向」 MAP
東側 (旧市街側) の橋塔 (10:38)「西北西方向」 MAP
左に見える塔は旧市街側の橋塔で、白山の戦いの後、27人のプロテスタントの指導者たちは旧市街広場で処刑され、勝ち誇る皇帝フェルディナント2世は、そのうちの12名の首をこの橋塔の上部に10年間も晒させた。 中央に見える銅像はカレル4世像で、カレル大学創設500周年を記念してたてられた。
カルロヴァ (カレル) [Karlova] 通り (10:38)「東方向」 MAP
カレル橋から旧市街広場へ向かう途中の通り。
カルロヴァ (カレル) [Karlova] 通り (10:40)「東方向」 MAP
カレル橋から旧市街広場へ向かう途中の通り。 突き当たりにある建物は "黄金の泉の館" という16世紀の歴史的建築物で、1989年以後この建物は私有資産となり、以来ホテルとして使用されている。 バロック様式のファザードには、金色の星の中に聖母子像が、その周りには聖人像が彫られている。  
伝説の女王リブシェ [Libuše] (10:41)「南方向」 MAP
建物の三階に座っているのは伝説の女王リブシェ。 伝説によればリブシェは超能力を有し、その超能力によってプラハを誕生させ、プラハの歴史を始動させたとされている。
クラム・ガラス宮殿 [Clam-Gallasův palác] (10:42)「北東方向」 MAP
旧市街にあるバロック様式の宮殿で、18世紀初頭にハプスブルク大使のために建造された。 現在はプラハ市の公文書館の一部として使用されている。
フソブァ (フス) [Husova] 通り (10:43)「南南東方向」 MAP
この通りは旧市街で一番古い通りの一つ。
旧市庁舎 [Staroměstská radnice] (10:46)「東北東方向」 MAP
左のスグラッフィート壁画の建物から旗の立っている建物までが旧市庁舎。 最初、1338年に既に建っていた建物 (旗の立っている建物) を買収し、以後、スグラッフィート壁画の既設建物まで買いつなげていった。 その結果、市庁舎は五つの建物で構成され、塔だけは買収後増築されている。 スグラッフィート壁画の建物は、かつて一分の家と言われ、プラハの作家フランツ・カフカ [Franz Kafka] が子供の頃に住んでいた家。
旧市庁舎 [Staroměstská radnice] (10:46)「東北東方向」 MAP
左のスグラッフィート壁画の建物から旗の立っている建物までが旧市庁舎。 最初、1338年に既に建っていた建物 (旗の立っている建物) を買収し、以後、スグラッフィート壁画の既設建物まで買いつなげていった。 その結果、市庁舎は五つの建物で構成され、塔だけは買収後増築されている。 
ゴシック様式の旧市庁舎の塔 (10:48)「北北西方向」 MAP
1364年に旧市庁舎に増築された塔は、高さ69.5メートルで、展望台までエレベータで上ることが出来る。 ちなみに、塔への入場料金は100コルナで、チェコ通貨 (コルナ) のみ有効。
旧市街広場 [Staroměstské náměstí] (10:48)「北東方向」 MAP
中央のやや右に見える2つの塔をもつ建物は、百塔の街プラハの象徴とも言えるティーン教会 [Matka Boží před Týnem] (ティーンの前の聖母マリア教会) 。 ティーン [Týnem] は税関を意味する言葉で、かつて外国商人が行き交う市場であって、税関があった場所だったことから、この名がつけられた。 この教会は、プラハ城とヴィシェフラットに次いで、プラハで最も古い建物の一つで、この教会では重要な国家的行事や、かつての君主たちの戴冠式や結婚式などが行われた。 ゴシック様式のティーン教会の前身は "ティーン庭" にやって来る商人たちが訪れていたロマネスク様式の教会だったが、13世紀に初期ゴシック様式の教会に変えられ、さらに14世紀に今日のティーン教会の姿に変えられた。 外部はゴシック様式、内部はバロック様式になっており、現在はカトリックの教区教会として使用されている。
旧市庁舎 [Staroměstská radnice] (10:49)「西方向」 MAP
市庁舎は五つの建物で構成され、塔だけは買収後増築されている。
旧市庁舎の天文時計 [Orloj] (10:50)「北北西方向」 MAP
天文時計は、きわめて複雑な仕掛けで、縦に2つの文字盤が並んでおり、上の文字盤が時計、下の文字盤がカレンダーになっていている。 1410年頃に国王の時計職人カダニュのミクラーシュとプラハ大学の天文学者ヤン・シンデルによって制作され、1490年頃に旧市街参事会の時計技師ハヌシュ・ルージュによって改造された。 17世紀になって十二使徒の人形が取り付けられ、毎正時になると時計に取り付けられたガイコツの人形が右手に持っている紐を引き、左手に持っている砂時計を横にして首を振り始める。 すると上にある二つの窓が開き鐘の音にあわせて人形の行列が始まる。 同時に右端にいる楽器を持ったトルコ人と左端にいる鏡を持った人形は首を振り始め、左から2番目の大きなツバの帽子をかぶったユダヤ人の人形は杖と袋と首を振り始める。 これらは虚栄心、貪欲、死神、異教徒の侵略という4つの恐れを表している。 カレンダーの両脇の人形には仕掛けがなく、歴史記録者、天使、天文学者、哲学者を表している。 現在は1948年に取り付けられた電動装置によって動いている。

音楽演奏 天文時計 Video Video

旧市街広場 [Staroměstské náměstí] (11:03)「北北西方向」 MAP
左手の建物は、聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše] 。 もともとこの場所には、13世紀の初めにロマネスク様式で建てられた、ドイツ人商人居住地の教区教会があり、これも聖ミクラーシュ教会という名前だった。 この教会が取り壊されて、1732~1737年にバロック様式で建てられたのが、現在の聖ミクラーシュ教会。 内部は聖ミクラーシュの生涯や聖書に題材をとった華麗な天井画、バロック様式の重厚な彫刻で満たされている。 現在はフス派の教会になっており、夏の夜にはミニコンサートが催される。
ゴシック様式の旧市庁舎塔 (11:03)「西南西方向」 MAP
この塔の左側面に天文時計がある。
旧市街広場 [Staroměstské náměstí] (11:04)「北北東方向」 MAP
右端に見える、屋根に黒い尖り帽子をかぶったような建物は "石の鐘の館" [Dům u kamenného zvonu] と呼ばれ、14世紀に建てられたゴシック様式の建物。 この家には1333年にカレル4世が滞在したという記録がある。 建物の角に石の鐘が装飾されていることから "石の鐘の館" と呼ばれ、現在は、プラハ市のギャラリーとして使用されている。 その左の、ピンク色を基調とした建物は、ゴルツ・キンスキー宮殿 [Palác Golz-Kinských] と呼ばれ、1755年から1765年にかけて建築された後期バロック様式の宮殿で、ロココ調新古典主義の装飾がなされている。 現在はナショナルギャラリー (アジア絵画部門) として使用されている。
エルペット [ERPET] (11:26)「南南東方向」 MAP
旧市街広場に面したところにある、ボヘミアンガラスとガーネットの店。 日本人の店員さんが19時までいるので、言葉の不安はない。 観光中いつでもトイレを借りることが出来る。
エルペット [ERPET] (11:49)「北北西方向」 MAP レストラン・スタレー・チャッシー [Restaurace Staré časy] (12:03) MAP
ハヴェル市場 [Havelské tržiště] (13:09)「西南西方向」 MAP
Havelská 通りにある野菜と土産物市場で、1232年から始まったプラハの中でも歴史のあるマーケットの一つ。
ハヴェル市場 [Havelské tržiště] (13:18)「北東方向」 MAP
約30%が野菜と果物店で、あとの約70%が土産物店になっている。
ハヴェル市場 [Havelské tržiště] (13:20)「東北東方向」 MAP
向こうに見える教会は、聖ハヴェル教会 [Kostel svatého Havla]
旧市庁舎 [Staroměstská radnice] (13:26)「北北西方向」 MAP
右の白い建物は、 "ヴォルフリン" の家を買い取って改築した建物で、市庁舎の建物の核になった建物。 真ん中のピンク色の建物は、 "クシーシュの家" と呼ばれていた建物で、ルネサンス様式の窓の上には "PRAGA CAPUT REGNI" (王国の頭プラハ) という、プラハ市民の誇りを示す文字が刻まれている。 左の白い家は、 "ミクシュの家" と呼ばれていた建物。 写真には写っていないが、 "ミクシュの家" の左には、 "雄鶏の家" と呼ばれていた建物があり、ここにはかつて大きな雄鶏の絵が描かれていた。  "雄鶏の家" の左には、前述のスグラッフィート壁画の建物があり、これら五つの建物で、旧市庁舎は構成されている。 なお、天文時計の塔は、1364年に増築された。
ゴシック様式の旧市庁舎の塔内 (13:32) MAP
1364年に旧市庁舎に増築された塔は、高さ69.5メートルで、展望台までエレベータで上ることが出来る。 ちなみに、塔への入場料金は100コルナで、チェコ通貨 (コルナ) のみ有効。
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) 展望台 (13:35) MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:35)「南南東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:35)「南東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:35)「東南東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:36)「南南東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:37)「南南西方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:37)「東北東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:37)「東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:37)「北北東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)「北東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)「北方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)「北北東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)「北東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)「東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)「東南東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:40)「西北西方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:40)「北北西方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:40)「北方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:40)「北北東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:42)「南方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:43)「南方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:43)「西北西方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:43)「南南西方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:43)「西南西方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:44)「南方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:46)「南方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:46)「南東方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:47)「西北西方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:47)「西北西方向」 MAP

(13:54)

(13:55)
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望「南方向」 MAP
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (14:03)「西北西方向」 MAP

音楽演奏 天文時計 Video Video

ヤン・フス像 [Pomník Jana Husa] (14:12)「北方向」 MAP
宗教改革の火の手をあげたヤン・フスのブロンズ像、没後500年を記念して彫刻家ラジスラフ・シャロウン [Ladislav Šaloun] により造られた。 シャロウンは火刑に処せられても屈せず毅然と頭を上げるフスと、彼を取り囲むフス派の人々の崇高な精神を群衆像 (フス派の戦士たちや国家再建の意味を込めた母の像) のなかにとどめた。 この除幕式が執り行われたのは、フスの処刑 (1415年7月6日) からちょうど500年経った、ハプスブルグ帝国終焉間近の1915年7月6日である。 碑銘には 『 Pravda vítězí 』 (真実は勝つ) と刻まれている。
ヤン・フス像 [Pomník Jana Husa] (14:12)「北方向」 MAP
ヤン・フス像 [Pomník Jana Husa] (14:14)「東南東方向」 MAP
ヴルタヴァ川越しに見るプラハ城 (14:26)「西方向」 MAP
パリ通り [Pařížská ulice] につづく、チェフーフ橋 [Ćechův most] の袂からプラハ城を望む。
旧市街広場 [Staroměstské náměstí] (14:49)「東北東方向」 MAP
石畳に白色で記された十字剣と一部見えている数字は、白山の戦いの後、首謀者であったボヘミアのプロテスタント貴族たちが見せしめのために、この広場で公開処刑されたのを追悼したもので、写真には写っていないが、すぐ右横には、処刑された1621年6月21日を意味する文字と、27 (27名) の十字架模様が記されている。
エルペット [ERPET] (14:51)「南方向」 MAP
ボヘミアンガラスとガーネットの店。
火薬塔 (火薬門) [Prašná brána] (15:02)「東方向」 MAP
もともと1475年にマチェイ・レイセクによって建てられたゴシック様式の塔で、旧市街を守っていた城壁の門の一つであった。 しかし15世紀に、プラハ城よりも市街地を好んだヴラジスラフ2世などの国王がこの近辺に王宮を建てて住んでいたことがあり、この塔も実は当時の王宮の一部であったことは、あまり知られていない。  "火薬塔 (火薬門) " という物騒な名前は17世紀に火薬倉庫として利用されたため、こう呼ばれるようになった。 現在見られる姿は、18世紀の半ばに戦災で大きな被害を受けた後、19世紀の末になって修復されたもので、塔の高さは65mあり、内部はギャラリーとしても利用されている。
ツェレトゥナー通り [Celetná] (15:03)「東方向」 MAP
火薬塔 (火薬門) のあるツェレトゥナー通りは、古くから商人たちの交易ルートとして栄え、また、戴冠式の行進が行われた "王の道" の一部として知られる歴史と由緒ある道である。
ツェレトゥナー通りにある火薬塔 (火薬門) [Prašná brána] (15:03)「東方向」 MAP
火薬塔 (火薬門) (15:04)「東方向」 MAP 火薬塔 (火薬門) (15:05)「北西方向」 MAP
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (15:20)「南東方向」 MAP
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (15:21)「南東方向」 MAP
この後、一旦ホテルに帰り夕食まで休憩。
ビール醸造とレストラン・ウ・フレク [Pivovaru a restauraci U Fleků] (18:51)「西南西方向」 MAP
創業は1499年、プラハで最も古いビア・ホール。 入口の時計文字盤に "PIVOVAR U FLEKŮ"(UFlekůビール醸造所) と書かれているのが目印。 敷地内の醸造所では、このレストランでしか味わえない黒ビールが、170年間同じ製法を守って造られている。
ユニークな時計 (18:51)「南南東方向」 MAP
文字盤に注目 (18:51)「南南東方向」 MAP ホールの入口 (18:52) MAP
ホール・キャバレー [Sál Kabaret] (18:53)「北東方向」 MAP
内装の美しいRytířský sál (騎士の間) 、木目調のAkadmie sál (アカデミーの間 ) など9つのホールがあり、ここはKabaret sál (キャバレーの間) 。 壁には、チェコのお城の絵が飾られている。
スープ (19:08) MAP スープと黒ビール (19:09) MAP
ホールでは、生演奏が楽しめる (19:13)「西方向」 MAP

音楽演奏 Video Video

鶏肉料理 (19:26) MAP アップルタルトケーキ (19:57) MAP
ホール・キャバレー [Sál Kabaret] (20:11) MAP
ホールでは、生演奏が楽しめる (20:13)「西方向」 MAP
U Fleků の入口付近 (20:28)「東北東方向」 MAP
この後、ホテル エスプラナーデ [Esplanade Hotel] へ帰り就眠。


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