旅の栞(ハンガリー)

7月23日(地図)

王宮の丘 [Várhegy] (地図)
マーチャーシュ教会と漁夫の砦 (地図)
ゲッレールトの丘 (地図)


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王宮の丘 [Várhegy]
"王宮の丘" は、ドナウ川の西岸に位置し、川岸からブダに広がる高さ約70m、長さ1.5kmの丘陵地帯。 丘のほぼ中央には歴代の王が戴冠式を行ったマーチャーシュ教会 [Mátyás templom] があり、南方向には13世紀に最初の王宮が建設されて以来幾多の変遷を経てきた王宮がブダペストの町を見下ろすように建っている。 この "王宮の丘" の建物は第二次世界大戦でほとんど破壊されてしまい、今見られる町並みは戦後の復旧作業によって復旧または再建されたものである。 中世の面影をたたえた町並みは、1987年にはブダの丘とドナウ河岸がユネスコの世界遺産に登録されている。 
旧防衛庁の施設 (09:22)「南方向」MAP
第一および第二世界大戦の爪痕を残す旧防衛庁の施設、このような被害が町の三分の二に及んだと言われている。 "王宮の丘"にある歴史的建物も例外ではなく、多くの建物が第二次世界大戦によって破壊されてしまい、今見られる町並みは戦後の復旧作業によって復旧または再建されたものである。
昔の修道院の建物 (09:23)「東南東方向」MAP
現在は、修道院の回廊をレストランやダンス劇場などとして使用している。
国立ダンス劇場 [Nemzeti Táncszinház] (09:25)「東南東方向」MAP
入り口に向かって右手に、かつてベートーベンがここでコンサートを挙げた記念として、若き日のベートーベンの彫像が飾られている。 
共和国大統領の執務館 [Sándor Palace - The Office of the President of Hungary] (09:26)「南東方向」MAP
ハンガリーには政治上権力を持つ者が二人おり、一人は首相、もう一人は共和国大統領。 ハンガリーは議院内閣制を取り、大統領は任期5年で議会によって選ばれるが、首相を任命するなど、儀礼的な職務を遂行するのみの象徴的な元首である。 実権は首相にあり、自ら閣僚を選んで行政を行う。 しかし最近では政治が混乱しており、旧共産党が社会党と名を変えた党と、新しい青年民主連盟と呼ばれる党が4年に一度争っているなか、その争いの秩序を保つのが共和国大統領の大きな役割となっている。
セント・ジョルジ広場[Szent György tér] (09:26)「東南東方向」MAP
王宮の北側に位置する広場で、写真の左寄りにはツルル鳥の像、中央には王宮の門、右には王宮の建物の一部が見える。
セント・ジョルジ広場[Szent György tér] (09:27)「南南東方向」MAP
左に見える門は、ブダ王宮 [Budavári palota] の北に位置する門。
セント・ジョルジ広場[Szent György tér] (09:27)「北方向」MAP
前方の建物は、共和国大統領の執務館 [Sándor Palace - The Office of the President of Hungary] で、入り口の上には王冠のレプリカが飾られている。 この王冠の上に取り付けられた十字架はなぜか右手に傾いており、今でも謎が解けない王冠といわれている。 
共和国大統領の執務館 [Sándor Palace - The Office of the President of Hungary] (09:29)「北方向」MAP
入り口の上に飾られている王冠の由来は、西暦1000年にハンガリー王国と言われるカトリックを国の宗教とした国が建てられた。 その際ローマ教皇から王冠がプレゼントされたのが始まりで、初代のイシュトヴァーンの戴冠式から、最後のカーロイ (カール) 4世が1948年に退位するまで、約950年にわたって王から王へと受け継がれてきた。 しかし今ではハンガリー王国は崩壊し、共和国になったため、この王冠は象徴として国会議事堂に展示保管されている。 その "右に傾いた十字架の付いた王冠" のレプリカが、入り口の上に飾られている。
ケーブルカー [Budavári sikló] (09:30)「東北東方向」MAP
下のクラーク・アーダーム広場[Clark Ádám tér] から "王宮の丘" [Várhegy] 間を往復している。
王宮の丘 [Várhegy] からの眺望 (09:31)「東北東方向」MAP
手前から、ケーブルカー、クラーク・アーダーム広場、くさり橋、フォーシーズンズ・ホテル、および聖イシュトヴァーン大聖堂 が、直線上に位置している。
ブダ王宮 [Budavári palota] (09:31)「南東方向」MAP
ここに最初に王宮を建てたのはハンガリー王ベーラ4世。 13世紀半ば、モンゴル襲来に遭いエステルゴムから逃れてきたベーラ4世は、この丘の地の利に目を付けここに城 (王宮) を築くことを決めたと言われている。 14世紀には当時の王ラヨシュ1世によって王宮の増改築が行われ、15世紀になると人文主義者として知られる王マーチャーシュ1世のもと、王宮にはイタリアなどから職人や芸術家が多く集まり、王宮を中心にハンガリー・ルネッサンスの幕が切って落とされた。 そしてこの時代、ハンガリーは中欧のルネッサンス中心地として栄華を誇った。 しかし16世紀には、トルコとの戦いで王宮は壊滅してしまった。 17世紀に入り、ハプスブルク家によってトルコから解放されハプスブルグ家の支配下に入ると、バロック様式の宮殿が新築され、18世紀には女帝マリア・テレジアのもとで増改築が行われた。 ところが、19世紀半ばに起きた大火災で大部分が焼け落ちてしまった。 それを機に再び大改築が行われ、完成したのは1904年。 しかし、その後の2度に渡る世界大戦で再び打撃を被った。 今見る姿は戦後修復作業を行って、1950年代にようやく完成したものである。 かつて王様が使った部屋や施設は全く残っておらす、また使った物も盗難に遭って残っていないとのことで、現在では美術館や博物館として使用されている。
王宮の丘 [Várhegy] からの眺望 (09:31)「北北東方向」MAP
王宮の丘 [Várhegy] からの眺望 (09:31)「北東方向」MAP
小雨模様のブダペスト [Budapest]。
王宮の丘 [Várhegy] からの眺望 (09:31)「東方向」MAP
ドナウ川は左 (北) から右 (南) に向かって流れている。 川の手前がブダ側、対岸はペスト(ペシュト)側。
王宮の丘 [Várhegy] からの眺望 (09:31)「北北東方向」MAP
左の橋はマルギット橋 [Margit híd] 、右の橋は "くさり橋" [Széchenyi Lánchíd]。
王宮の丘 [Várhegy] からの眺望 (09:32)「北東方向」MAP
左端に見える橋は、マルギット橋 [Margit híd] 、その右に見える高い建物は国会議事堂 [Országház]。
ツルル鳥 [Turulmadár] (09:32)「南東方向」MAP
ツルル [Turul] から王家の一族が生まれたという伝説があり、王宮の傍ら (北側) にはツルル像が建てられている。 ツルルは架空の鳥で、足には王剣を持っている。
前方の丘は、ブダの丘と呼ばれる高級住宅街 (09:35)「西方向」MAP
つい最近までハリウッドの大家族、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーさんがここに居を構えていた。
ブダの王宮地区の中でも一番古い建物と言われている建物で、現在では15世紀の出窓方式のルネサンス様式建物を修復し、レストランとして使用している。 右の白い建物の入り口付近には、取って付けたように昔の石が使われている。 これは第二次世界大戦以降再建される際、ちょっとでも昔の名残が出るようにとのことで、当時かろうじて残った建材を再建の際に用いたもの。 (09:43)「南南西方向」MAP
中世の時代には、この腰掛け椅子に腰をかけ、ワインの量り売りをしていた場所。 今はこの部分だけ残り、普通のアパートになっている。 (09:45)「東方向」MAP
マーチャーシュ教会 [Mátyás templom] (09:46)「北方向」MAP
現在のブダペストの町の形成は、896年にアジアのウラル山脈からカルパチア盆地にやって来た遊牧騎馬民族マジャール人の手によると考えられている。 当時マジャール民族はヨーロッパを荒らし回る野蛮な民族であったが、やがて定住が始まり、手間取りながらも、当時の西ヨーロッパをまねカトリックを国の宗教とするハンガリー王国を立ち上げた。 初代の王はイシュトヴァーン [István] で、 当初イシュトヴァーンの生地エステルゴム [Esztergom] に首都がおかれたが、13世紀にモンゴルの襲来を受け建国の地エステルゴムは破壊されてしまった。 その後モンゴルの再来襲に備え、現在の戦いに有利な丘のあるブダへ首都 (王宮) を移すことになった。 マーチャーシュ教会は聖処女マリアに捧げるべく13世紀半ば王ベーラ4世の命によってロマネスク様式で建てられ、14世紀になるとゴシック様式で建て直された。15世紀にはマーチャーシュ王の命により塔は増築され、それが王宮の丘で最も目立つ塔であることから、王の名を取りマーチャーシュ教会 [Mátyás templom] という愛称で呼ばれている。 ちなみに、マーチャーシュ王はこの教会で戴冠式と2度の結婚式を挙げている。  正式名称は「被昇天マリア教会」
王宮地区の見取り図 (09:47)
この図をよく見ると、この地区は城壁で囲まれていることが分かるが、この城壁は13世紀からあったのではなく、15世紀のマーチャーシュ王全盛期の後、1541年にブダはトルコに占領され、約150年間占領時代が続くことになる、このときトルコ軍がハンガリー人の侵入を防ぐために築いたのがこの城壁である。 ちなみに、赤いパプリカはハンガリーの名産物になっているが元はトルコが持ち込んだ習慣の一つで、今ではパプリカの粉を料理に入れて食べるのがハンガリーの名物料理になっている。
マーチャーシュ教会 [Mátyás templom] (09:49)「北北東方向」MAP
1541年にブダがトルコに占領されると、教会はすぐにモスクに改装された。 17世紀にハプスブルグ家によってトルコから解放されるとモスクから再びカトリック教会に戻ったが、ファサードはバロック様式に改装された。 19世紀後半、ハプスブルグ帝国のフランツ・ヨージェフ皇帝と王妃エルジェーベトが、ハンガリーの王、王妃となるべくこの教会で戴冠式を行った。 そしてフランツ・ヨージェフ皇帝は、バロック様式のファサードを取り払い、この教会をかつての美しいゴシック様式に戻すよう建築家シュレック・フリジェシュに命じ復元させた。 その後、第二次世界大戦時に教会は大打撃を受けたが、戦後シュレックが改築した姿に忠実に復元されされて現在に至っている。 今現在の形になったのは1896年の国会議事堂、聖イシュトヴァーン大聖堂が造られた建国1000年祭博覧会の時で、それに合わせてこの教会もお色直しが行われた。 カラフルな屋根瓦は、ハンガリーの磁器メーカーではヘレンド [Herend] に次ぎ、有名なジョルナイ [Zsolnay] の作品で、世界で一躍有名になった作品の一つが、この屋根瓦だと言われている。 この屋根瓦が使われたのは、裕福だった二重帝国時代で、至る所に磁器が使われた。
三位一体広場 [Szentháromság tér] (09:55)「東北東方向」MAP
左手に少し見えているのがマーチャーシュ教会、正面にはハンガリー建国の父といわれる初代ハンガリー王イシュトヴァーンの銅像、その後ろには漁夫の砦がある。
三位一体像 [Szentháromság-szobor] (09:56)「西北西方向」MAP
マーチャーシュ教会の前に広がる広場には、18世紀に建てられた三位一体の像がある。 これは中世ヨーロッパで猛威をふるったペスト (黒死病) の終焉を記念して、助かった人々によって建てられた像。 (去年、新しく造り直されている。)
旧税務署の建物 (09:58)「北西方向」MAP
旧税務署の建物 (09:59)「西北西方向」MAP 旧税務署の建物 (09:59)「南方向」MAP
第二次世界大戦で破壊された建物を昔の資料をもとに再建したため、窓枠の形が時代々々で異なっている。 
ハンガリーの郵便ポスト (10:00)「南西方向」MAP
土、日は集配は無く、月~金曜日は1日1回と、郵便事情はあまり良くないとのこと。
ホテルとホテルの間に残された修道院跡 (10:01)「北方向」MAP
ヒルトン・ホテル [Hilton Hotel] が建っているこの場所は昔の修道院跡で、その場所をヒルトンが買い取り、新しいホテルが建てられている。 建てる際に一部残っていた修道院跡を考慮して、今でも修道院部分は残されている。 マーチャーシュ王は15世紀にこの修道院の建物の中に大学機関を設置したことでも知られており、外壁面は象徴としてマーチャーシュ王の彫像で飾られている。 今でも地下にはその遺跡が残されているとのこと。 尚、ホテルのロビー中央部にも昔ながらの修道院部分が残されており、かつて天皇陛下ご夫妻がいらっしゃった際、ご滞在されたのがこのホテル。
ターンチチ・ミハーイ通り [Táncsics Mihály utca] にあるショップ (10:13) MAP
「南南東方向」MAP 「南西方向」MAP
ターンチチ・ミハーイ通り [Táncsics Mihály utca] にあるショップ (10:28)
ハンガリーは農産国であることから基本的には農産物が中心で、食べ物ではフォアグラ、飲み物ではトカイワイン (貴腐ワイン) が有名。 また、農産国の冬の閑散期には刺繍が作られ、これら全てがカロチャ刺繍と呼ばれている作品で、全く同じ物は二つと無いと言われているハンガリーを代表する民芸品。 その他、果実酒入りチョコレート (パーリンカ)、 日本にも輸出しているリンゴのチップスの上にチョコレートをコーティングしたお菓子、プロポリス、石けんなどが販売されている。
ターンチチ・ミハーイ通り [Táncsics Mihály utca] (10:30)「南南東方向」MAP
中央の尖塔は、マーチャーシュ教会 [Mátyás templom] の尖塔。
ターンチチ・ミハーイ通り [Táncsics Mihály utca] (10:36)「南東方向」MAP
左の建物は、ヒルトン・ホテル [Hilton Hotel] で、その向こうに見えているのがマーチャーシュ教会。 ホテルのロビー中央部には昔ながらの修道院部分が残されており、かつて天皇陛下ご夫妻がいらっしゃった際は、このホテルに滞在された。
ヒルトン・ブダペスト・ホテル [Hilton Budapest Hotel] (10:37)「南南東方向」MAP
漁夫の砦 [Halászbástya] (10:40)「北東方向」MAP
中央部には 聖イシュトヴァーンの騎馬像 [Szent István-szobor] がある。
聖イシュトヴァーンの騎馬像 [Szent István-szobor] (10:40)「北東方向」MAP
聖イシュトヴァーンはハンガリー建国の父と言われる初代ハンガリー国王で、右手には二重の十字架を持ち、頭上には王冠を戴いてる。 その王冠の上には金の輪が付けられており、これは聖人だけが付けられるグロリア (光輪) で、彼はカトリックの布教に努めたと言うことで、亡くなった後、列聖されている。 二重の十字架は一つは政治的、もう一つは宗教的権力を持っていたことを象徴するものと言われ、ハンガリーの国章にも取り入れられている。 ちなみに、この像の王冠の上に付けられている十字架は真っ直ぐに付けられている。 
漁夫の砦 [Halászbástya] (10:44)「東方向」MAP
聖イシュトヴァーンの騎馬像 [Szent István-szobor] (10:44)「北北西方向」MAP
マーチャーシュ教会 [Mátyás templom] (10:44)「北西方向」MAP
この屋根瓦は、ハンガリーの磁器メーカーではヘレンド [Herend] に次ぎ、有名なジョルナイ [Zsolnay] の作品で、世界で一躍有名になった作品の一つが、この屋根瓦だと言われている。 ちなみに、中央の塔の先端に指輪を銜えた烏が止まっているのが見えるが、これはマーチャーシュが幼い頃、父からプレゼントさた指輪が大きすぎて地面に落ちてしまったのを、烏が目敏く見つけ奪い去ってしまった。 しかし優秀であったマーチャーシュはそばにあった鉄砲で烏を撃ち落とし、指輪を取り戻したという逸話がある。 この烏の像は、逸話をもとに造られたもので、王様の賢明さを象徴するものとして、王様の紋章の中にも指輪を銜えた烏が入っている。 
漁夫の砦 [Halászbástya] からの眺め (10:45-10:46)「南東方向」MAP
手前に見える橋は "くさり橋"、その向こうはエルジェーベト橋[Erzsébet híd]、さらにその向こうに自由橋 [Szabadság híd] が見える。 自由橋の元の名前はエルジェーベト (シシィ) の夫、フランツ・ヨージェフの名前が付けられていたが、彼は人気が無かったため二重帝国が崩壊したと同時に、自由橋と名が変えられてしまった。 ちなみに、ここから見えるドナウ川両岸の景色はユネスコの世界文化遺産に登録されている。 (景色が世界文化遺産に登録されているのは珍しい。)
川向こうの中央に見えるのが国会議事堂で、ロンドンの国会議事堂を真似て造られている。 ロンドンはテムズ川、こちらはドナウ川と言うことになる。 国会議事堂の手前に見える茶色の尖塔はハンガリーで最初にできた新教プロテスタントの教会で、屋根瓦にはジョルナイの作品が使用されている。 (10:46)「北東方向」MAP 国会議事堂が完成したのは1896年頃で、建国1000年祭博覧会の開催に合わせて造られた一大モニュメント。 造りは、国外の要人を招くため豪華絢爛に造られている。 ちなみに、高さは1896年の下二桁に合わせ96mになっている。 (10:47)「北東方向」MAP
漁夫の砦 [Halászbástya] からの眺め (10:47)「北東方向」MAP
中央やや右寄りに見える島はマルギット島 [Margitsziget] で、その手前に見える橋がマルギット橋 [Margit híd] 。 マルギット橋はドナウ川の流れがマルギット島によって二つに分けられ、再合流する位置にあるため、水圧の影響を考慮して "く" の字型に造られている。 左端には "漁夫の砦" があるが、この砦は1896年の建国1000年祭博覧会に合わせて、マーチャーシュ教会を改築した際、この教会に似合うように、教会を改築した建築家シュレックが町の美化計画の一環として造ったもの。 博覧会はハンガリー人はアジアからやって来た遊牧騎馬民族であることを前面に出していたため、砦にはパオ (ゲル) を象徴とした尖塔が7つ造られており、それぞれマジャル人の祖先であるフィン・ウゴル語族の名前が付けられている。 これは当時7人の部族長がいたためと言われている。 "漁夫の砦" の名の由来は、中世期時代には魚市場があったことや砦のこのあたりはドナウの漁師組合が守っていたことなどから、この名が付けられた。
三位一体広場 [Szentháromság tér] (10:47)「西南西方向」MAP
聖イシュトヴァーンの騎馬像 [Szent István-szobor] とマーチャーシュ教会 [Mátyás templom]
漁夫の砦 [Halászbástya] からの眺め (10:51)「北東方向」MAP
川向こうの中央に見えるのが1896年に造られた国会議事堂で、ロンドンの国会議事堂を真似て造られている。 ロンドンはテムズ川、こちらはドナウ川と言うことになる。 国会議事堂は以前は無く、二重帝国時代のハプスブルグ家がハンガリーを支配するといった時代に、建国1000年祭博覧会の開催という国を挙げた博覧会を催すことになった。 これがきっかけで、初めて国会議事堂が造られ、外国の要人を招きハンガリーの政治力を見せつけるたの一大モニュメントとして豪華絢爛に造られている。  ちなみに、国会議事堂と聖イシュトヴァーン大聖堂は1896年の建国1000年祭博覧会にちなみ96mの高さで建てられている。 当時、96m以上の建物は建ててはいけないという法律が定められ、現在でもこの法律は残されている。 そのため町並みは整然としている。
漁夫の砦 [Halászbástya] からの眺め (10:51)「北北東方向」MAP
中央やや左寄りに見える島はマルギット島 [Margitsziget] で、その手前に見える橋がマルギット橋 [Margit híd] 。 マルギット橋はドナウ川の流れがマルギット島によって二つに分けられ、再合流する位置にあるため、水圧の影響を考慮して "く" の字型に造られている。
漁夫の砦 [Halászbástya] (10:52)「北方向」MAP 漁夫の砦 [Halászbástya] (10:52)「北北西方向」MAP
漁夫の砦 [Halászbástya] (10:52)「北方向」MAP
この砦は1896年の建国1000年祭博覧会に合わせて、マーチャーシュ教会を改築した際、この教会に似合うように、教会を改築した建築家シュレックが町の美化計画の一環として造ったもの。 博覧会はハンガリー人はアジアからやって来た遊牧騎馬民族であることを前面に出していたため、砦にはパオ (ゲル) を象徴とした尖塔が7つ造られている、これは当時7人の部族長がいたためと言われている。 ハンガリー民族がアジアからやって来たと感じさせる理由は、髪の毛が茶色または黒に近い茶色、目の色も茶色、背があまり高くなく、体型はアジア人に近い、子供には未だに蒙古斑の出る子供がいるなどが挙げられる。 文化面では、名前は日本と同じ姓・名の順番に呼ばれる。 これはヨーロッパではハンガリーのみと言われている。 "漁夫の砦" の名の由来は、中世期時代にはここに魚市場があったことや、砦のこのあたりはドナウの漁師組合が守っていたことなどから、この名が付けられた。
漁夫の砦 [Halászbástya] (10:53)「北方向」MAP
パオ (ゲル) を象ったと言われる尖塔内部からの眺め。
漁夫の砦 [Halászbástya] (10:55)「北方向」MAP
漁夫の砦 (10:59)「南南東方向」MAP 漁夫の砦 (10:59)「東方向」MAP
漁夫の砦 (10:59)「東方向」MAP 漁夫の砦 (11:00)「西南西方向」MAP
ゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] からの眺め (11:19)「北北東方向」MAP
初代国王イシュトヴァーンの右腕としてイタリアから招かれたキリスト教伝道師ゲッレールト司教は当時活躍していたが、イシュトヴァーンが亡くなった後、1046年に異教徒によって捕らえられ、丘の上から樽に詰められてドナウ川に投げ捨てられたと言われている。 伝説なのか事実なのか定かではないが、この話が元で "ゲッレールトの丘" と名付けられている。
ゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] 展望台 (11:20-11:21)「北方向」MAP
ここからの景色もユネスコの世界文化遺産であるという内容の書かれた記念碑がある。
セゲド・レストラン・ブダペスト [Szeged Vendéglő ( Étterem) Budapest] (11:40) MAP
ゲッレールト温泉 [Gellért fürdő] の側にあるセゲド・レストランで昼食を済ませ、エステルゴム [Esztergom] へ向かう。

【セゲド [Szeged] はブダペストの南東、約168Kmに位置するパプリカの産地として有名な町の名前で、この町のセゲド大学 [Szegedi Tudományegyetem] でセント・ジョルジ・アルバート [Szent-Györgyi Albert]*は研究員と共に地元特産のパプリカから世界で初めて、大量精製した "hexuronic acid" が構造的にはL-アスコルビン酸であること、またこれが以前から知られていた抗壊血病因子であることを明らかにし、ビタミンCと命名した。 セント・ジョルジ・アルバート は、このビタミンCの発見などにより、1937年度ノーベル生理学医学賞を受賞している。】
* ハンガリー語では日本と同じ 姓・名 の順に表記される。


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