旅の栞(ハンガリー)

7月23日(地図)

エステルゴム [Esztergom] (地図)


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エステルゴム [Esztergom]
ブダペストの北西約60kmにある、ハンガリー・カトリックの総本山である大聖堂を有するエステルゴムは、キリスト教国家としてのハンガリー建国の地であり、最初の首都であった。 西暦985年、マジャール人の首長ゲーザの息子であったヴァイクはプラハの聖アダルバートから洗礼を受け、イシュトヴァーンの洗礼名を授けられた。 その後、西暦1000年、ローマ教皇のシルウェステル2世から王冠を授かり、正式にハンガリー王国が成立した。 初代国王イシュトヴァーン1世は、ドナウ川を望むここエステルゴムの小高い丘に王宮と大聖堂を築き、ここに西洋文明の一翼を担うキリスト教国として、ハンガリー王国の歴史が始まった。 16世紀にはオスマン・トルコの侵攻によって占領されたものの、現在に至るまでハンガリー・カトリックの中心地である。
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] (14:20)「南西方向」MAP
高さ100m、直径53.5mのドームを戴く壮大な新古典様式の大聖堂は、ギリシャ神殿を彷彿させる象徴的な柱で構成されている。 創建当初から現在に至るまでハンガリー・カトリックの総本山であり、国内最大の大聖堂である。 現在の聖堂は、オスマン・トルコの襲撃によって破壊された後、1822年から約50年をかけて再建された。 1856年の奉献儀式を兼ねたミサでは作曲家リスト・フェレンツが曲を提供したことでも知られている。 正面玄関は普段使われずクリスマスの時のみ使われる。
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] (14:22)「西南西方向」MAP
ティンパノン (入り口上部の三角の部分) の下に書かれた金文字は、ラテン語で 「この教会は、ハンガリー人にとって母なる存在である。」 と言った意味だそうです。 そしてその下に母親の象徴とも言えるマリア様の銅像が立っている。
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] (14:24)「西南西方向」MAP
よく見るとこのマリア様は、何故か王様の冠をかぶっている。 1031年9月2日、イシュトヴァーンの一人息子イムレ王子が狩猟の最中に亡くなり、王は後継者を失ってしまう。 そこで、イシュトヴァーンはマリア様にお伺いを立て、王冠をマリア様に託されたと言われている。
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] (14:25)「西南西方向」MAP
向かって左の時計の右手に、戴冠式の様子が描かれたレリーフがある。
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] (14:26)「西南西方向」MAP
時計の右手には、初代国王イシュトヴァーンの戴冠式の様子を描いたレリーフがある。
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] (14:27)「北北西方向」MAP
大聖堂の正面玄関部、右はギリシャ神殿を彷彿させる象徴的な柱列。 左の緑色の扉は、クリスマスの時以外は開かれない正面玄関扉。
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] (14:28)「西南西方向」MAP
このアーチ部の上、に初代国王イシュトヴァーンの戴冠式の様子を描いたレリーフがある。
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] (14:28)「西南西方向」MAP
アーチ部から大聖堂の左側面を望む。 向こうに小さく見える山は隣国スロバキア。 
入り口の近くにある作曲家リスト・フェレンツの記念碑 (14:30)MAP
この教会は、オスマン・トルコの襲撃によって破壊された後、1822年から約50年をかけて再建された。 1856年8月31日の奉献儀式を兼ねたミサでハンガリーを代表する作曲家、リスト・フェレンツ [Liszt Ferenc] は 「エステルゴムのミサ」 という曲を書いて実際に演奏した。 その日を記念して作られたのがこの記念碑。 
作曲家リスト・フェレンツの記念碑 (14:30) MAP
 ハンガリー語はウラル語族のフィン・ウゴル語派に分類され、ヨーロッパで話される諸言語とは異なっている。 姓名や日付などの語順もインド・ヨーロッパ語族の言語とは異なり、碑文は日本語と同じ 「 姓・名 」 「 年・月・日」 の順になっている。
大聖堂主祭壇 (14:30)「西南西方向」MAP
ハンガリー・カトリックの総本山に当たる教会で、ハンガリーの教会の中で一番大きく、聖壇部分にはマリア様の被昇天*の絵が飾られている。 この絵は一枚のキャンパスに描かれており、聖壇部分に飾らかれたマリア様の被昇天の絵としてはヨーロッパ最大級である。
* 被昇天の "被" はイエスキリストによってマリア様が天国へ引き上げられることを意味する。
大聖堂 (14:36)「西南西方向」MAP
拝廊から主祭壇を望む。
大聖堂 (14:37)「西南西方向」MAP
身廊から主祭壇を望む。
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] (14:37)「西方向」MAP
この教会は空中から見ると十字架の形になっている。 これがハンガリーの、カトリック教会の基本的な造りになっている。 また音響効果をよく考慮して造られている。 元をたどると信者さんの声が天に届きやすいようにとの意味を込めて、音響効果の良いところを教会と呼んでいた。 
大聖堂 (14:39)「西南西方向」MAP
クロッシング部の天井。
大聖堂 (14:37)「北北東方向」MAP
左は、右翼廊部、左には身廊の一部が見えている。
大聖堂のクロッシング部から見る内陣 (14:38)「西南西方向」MAP
パイプオルガン (14:39)「東北東方向」MAP
ハンガリーのカトリック教会では、正面の祭壇と向かい合うように、身廊の後部に必ずパイプオルガンがあることが決まりになっている。 このパイプオルガンは今でもミサの際、結婚式の際には必ず使われている。
大聖堂の身廊部にあるパイプオルガン (14:40)「東北東方向」MAP
大聖堂右翼廊部 (14:41)「西北西方向」MAP
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] の聖壇部分 (14:44)「南西方向」MAP
一段高くなっている聖壇部分は、宗教関係者の中でも地位のある方のみ上がれるが、真に意味するところは、ほかの信者さんより身分が高いからと言うのではなく、彼らの祈りが天に届きやすいようにとの意味が込められ造られている。 また、方角は太陽の昇る東側を指しており、太陽の光が教会に差し込むと共に生命を与えるという理論に基づいて造られている。
大聖堂の右翼廊部にある絵画 (14:44)「北北西方向」MAP
イシュトヴァーンは、ハンガリー国が生き延びるにはキリスト教の道を進むしかないことを痛切に感じ、跡継ぎとしてイムレ王子を教育した。 ところが若きイムレ王子は狩りの最中、猪に突き刺されて不慮の死を遂げる。 大聖堂の右側の壁に掲げられた大きな画は、跡継ぎを亡くしたイシュトヴァーンが聖母マリアに「このハンガリーの王冠を、一体誰に与えればよいのでしょうか」と尋ねている情景が描かれている。 左下の青いマントを着て両手を広げているのがイシュトヴァーン1世で、その上にはイエスを抱いたマリア様、そしてその間には赤い羽根の天使がイシュトヴァーン1世から預かった王冠をマリア様に差し出している。 教会の外にあったマリア様の銅像に王様の冠があったとことが頷ける。 ちなみにイシュトヴァーン1世の後方に描かれている建物は、この大聖堂。
大聖堂の右翼廊部 (14:44)「北方向」MAP
ハンガリーの共産党主義時代、宗教は弾圧され宗教関係者の多くが捕らえられ拷問を受けて亡くなっている。 そのため、二度とこういう時代が来ないようにとの戒めを込め、拷問死した人たちの髑髏をおいている。
大聖堂の右翼廊部 (14:45)「北方向」MAP
ハンガリーの共産党主義時代、宗教は弾圧され宗教関係者の多くが捕らえられ拷問を受けて亡くなっている。 そのため、二度とこういう時代が来ないようにとの戒めを込め、拷問死した人たちの髑髏をおいている。
大聖堂の右翼廊部(14:45)「西方向」MAP
聖イシュトヴァーンの祭壇 [SZENT ISTVÁN KIRÁLY OLTARA]
大聖堂の右翼廊部 (14:45)「西方向」MAP
聖イシュトヴァーンの祭壇 [SZENT ISTVÁN KIRÁLY OLTARA]
大聖堂の右翼廊部から身廊部を望む (14:46)「西北西方向」MAP
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] の聖壇部分 (14:46)「南西方向」MAP
中央やや左の白い天蓋のある席は、かつて二重帝国時代にフランツ・ヨージェフ皇帝が座った席。 フランツ・ヨージェフ皇帝はハンガリーでの滞在を忌み嫌ったため、この席に座ったことは非常に珍しいことだった。
大聖堂 [Szent Adalbert Főszékesegyház] の聖壇部分 (14:46)「西方向」MAP
祭壇上部を飾る絵画 「聖母マリアの被昇天」 は、イタリア人のグレゴレッティ作で、大きさは13.5m×6mにも及ぶ。 1枚のキャンバスに描かれた絵画としては世界最大級。
大聖堂の左翼廊部 (14:46)「西南西方向」「南南東方向」MAP
大聖堂のクロッシング部 (14:47)「北東方向」MAP
 左は、右翼廊部、右は、身廊部でパイプオルガンが設置されている。
大聖堂 (14:47)「北北東方向」MAP
クロッシング部の天井。
大聖堂のクロッシング部 (14:47)「北北東方向」MAP
 左は、右翼廊部、右は、身廊部
大聖堂の身廊部 (14:47)「東北東方向」MAP
バコーツ礼拝堂 [Bakócz kápolna] (14:49)MAP
大司教バコーツ・タマーシュ [Bakócz Tamás] のため創建されたバロック様式の礼拝堂。 ルネサンス期の建築物としてはイタリアを除く全ヨーロッパのなかで最古のもの。 中央の額に入っているのはマリア様の像で、よく見ると銀色の洋服を着ている、この銀の洋服は両側の額の中に納められている人の躯体の一部や臓器を模った銀細工を溶かして作ったもので、以前は病気の平癒のお礼として躯体の一部や臓器を模った銀細工を寄進していた。 トルコの占領時代は、モスクとして使用されており、宗教的な理由 (イスラム教は偶像崇拝を禁止) から、礼拝堂の聖人像の顔がもぎ取られている。 ただし、一番上の女性の像は例外で、それは母親の象徴であるマリア様の像と言われている。
バコーツ礼拝堂 [Bakócz kápolna] (14:49) MAP
マーチャーシュの後を継いだボヘミア王ウラースロー2世は、ルネサンス建築を取り入れ、1506年にエステルゴム大聖堂のバコーツ礼拝堂を起工する。 イタリアの建築家ジュリアーノダガロは、地元の赤大理石の建築家と共にルネサンス期の建築物としてはイタリアを除くともっとも古いバコーツ礼拝堂を完成させる。 その後、 1543年にエステルゴム大聖堂は、トルコ軍の度重なる攻撃をうけ損傷し、トルコの支配下におかれるが、トルコ人はバコーツ礼拝堂を高く評価し、モスクとして130年間使用したため破壊は免れた。 しかし、宗教的な理由 (イスラム教は偶像崇拝を禁止) から、礼拝堂の聖人像の顔がイスラム教徒の手によって破壊された。 1673年にトルコ人が追放されたあと、1822年からエステルゴム大聖堂の再建が計画され、残されたバコーツ礼拝堂を新たに大聖堂に組み入れることになった。 礼拝堂は、技術的な理由から1600ほどのパーツに分解されたあと、反対側の入り口付近に移転配置されることになった。 このとき礼拝堂の入り口の関係から180度回転させざるを得ず、元の芸術的概念が損なわれた可能性がある。
旧王宮の建物 (14:52)「南方向」MAP
かつて、ここには王宮があったが、13世紀半ば、蒙古来襲により完全に破壊されてしまったため、ここを逃れたハンガリー王ベーラ4世はブダの丘に城 (王宮) を築いた。 この建物は旧王宮をイメージして建てられている。 現在は、王宮博物館として使用されており、銃剣や鎧、石器時代の土器などが展示されている。 また、この地下は発掘作業が行われており、去年 (2010年) マリア様が描かれた壁画が発見されている。
ドナウベンド [Dunakanyar] (14:53)「西南西方向」MAP
英語では "Danube bend" でドナウ川の曲がり角を意味する。 ウィーンからスロヴァキアを通って東に流れてきたドナウ川は、ハンガリーに入ると急に向きを南に変えブダペストへ向かう。 このドナウ川が弧を描くあたりをドナウベンドと呼んでいる。
ドナウベンド [Dunakanyar] (14:53)「西方向」MAP
左に見える橋はマリア・ヴァレリー橋 [Mária Valéria híd] と呼ばれ、シシィさんの4番目の子供の名前が付けられている。 この橋は世界大戦で破壊され、真っ二つになったまま最近まで放置されていたが、スロヴァキアとハンガリーが手を取り合ってEUに加盟する際、友好の意味も込めて架けられたのが、このマリア・ヴァレリー橋。 対岸は隣国スロヴァキアで以前は対岸のスロヴァキア側でパスポート審査が行われていた。 しかし今では、シェンゲン協定のおかげで自由に往来できるようになっている。
ドナウベンド [Dunakanyar] (14:53)「北西方向」MAP
対岸のスロヴァキアは、第一次世界大戦まではハンガリーの領土であったが敗戦国であると言うことから土地の三分の二を失ってしまった。 そして北の部分は、このドナウ川で国境線が引かれてしまったため、対岸に住んでいる人々はスロヴァキア国籍であってもハンガリー人が多く、国境近くではハンガリーの政策で、二国籍を持っている人も多い。
(14:53)「南南西方向」MAP (14:53)「西南西方向」MAP
(14:54)「南南西方向」MAP (15:54)「南南西方向」MAP
(14:54)「南南西方向」MAP (14:54)「西南西方向」MAP
(14:54)「北北西方向」MAP (14:55)「南西方向」MAP
大聖堂の左側面にある鐘楼 (14:56)「東北東方向」MAP
大聖堂には3つの鐘があり、そのうち最大の "聖母の鐘" [Nagyboldogasszony-harang] が納められている。
エステルゴム [Esztergom] を後にして、センテンドレ [Szentendre] へ向かう。


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