旅の栞(ハンガリー)

7月23日

センテンドレ [Szentendre]


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センテンドレ [Szentendre]
センテンドレ [Szentendre]、という名前は、イエス・キリストの12使徒のひとりセント・アンドリュー [Saint Andrew] (ハンガリー語でセント・エンドレ) 、に捧げる教会が町に建てられた事に由来すると言われている。 14世紀頃より交易商人でにぎわう商業都市として栄え、16世紀にはオスマン・トルコの支配から逃れて、南からやってきたセルビア人が定住したため、現在でもセルビア文化が色濃く残っている。 その一つとして、7つの部落の人々が一緒に逃げてきて、一緒に定住したため、今でもセンテンドレの町の中にはセルビアの建築様式に則った7つの教会が残っている。 旧市街地の通りは石畳で、住居は1階建てまたは2階建てで、家の壁は鮮やかな色が使われている。 屋根瓦の色は茶色で統一されていて、屋外からは庭が見えない中庭方式である。 町の地下には長い長いワインセラーが残されていると言われており、18世紀前までは (疫病が流行る前) まではブドウの栽培が行われ、ワイン造りが盛んであったと言われている。 町を歩いてみると今でも所々でブドウの木を見かける。 この町は、南方風の雰囲気を味わうことができるとのことで、地元の人にとって人気のある町になっている。 また、この町の風情に引き寄せられるようにハンガリーで活躍している芸術家たちが、こぞって居住している。 町の中心には沢山の美術館、ギャラリーが軒を並べており、その中でも有名なのが女性の陶芸家コヴァーチ・マルギットの美術館である。 セルビア人が建てた7つの教会は当初セルビア正教会であったが、ハンガリーで暮らしていくうちに混血が進み次第にカトリック教会またはプロテスタント教会へと売却され、現在ではセルビア正教会として機能している教会は2つしか残っていない。 1つはハンガリーのセルビア正教会の総本山に当たる Szentendre (Belgrád) 大聖堂、もう一つは一年に一度だけ (セルビアの日と言われる8月19日) ミサが開かれ、この日だけ鐘が鳴ると言われる Preobrazsenszka 教会である。 それ以外に展示場として残っている教会もある。 "セルビアの日" は国内から多くのセルビア人やセルビアの文化に傾倒する人々が集う。

ハンガリー狂詩曲第2番 Slides
演奏:アルフレッド・ハウゼ

センテンドレ ( ハンガリー) とセルビアの位置関係。
ブラゴヴェシュテンスカ教会 [Blagovestenszka templom] (16:22)「北東方向」MAP
1754年、バロック様式の建築家アンドラーシュ・マイエルホファー [András Mayerhoffer] により創設されたセルビア正教の教会で、センテンドレを象徴する建物。 かつては男性用の南扉と女性用の西扉に分けられ、教会内でもイコン (聖画) によって信者席が男女別に仕切られていた。 また内部はカトリック教会と違い、立った状態でミサが行われていたため椅子は無く、がらんとした状態だった。 現在は展示・博物館として使用されている。
中央広場 [Főtér] (16:22)「北北東方向」MAP
中央広場は三角形で、三角形の広場を持つ唯一の町になっている。 ちなみに左端に見える黄色の看板 "LANGOS" (ランゴス) はハンガリー人の "おやつ"で 「揚げパン」 のこと。
中央広場の近くにある南国風の路地 (16:23)「西北西方向」MAP
中央広場の近くにある南国風の路地 (16:23)「西北西方向」MAP
ドナウ川 [Duna] (16:27)「北東方向」MAP
このあたりのドナウ川はセンテンドレ島 [Szentendrei-sziget] によって二つに分けられているため、川幅が狭くなっている。 川向こうの森はセンテンドレ島。
センテンドレの町並み (16:27)「西南西方向」MAP
ドナウ川の川縁からギョリョグ通り[Görög utca]を望む。
ドナウ川の川縁 (16:28)「南東方向」MAP
センテンドレの町に沿って流れるドナウ川。 このあたりのドナウ川はセンテンドレ島 [Szentendrei-sziget] によって二つに分けられているため、川幅が狭くなっている。 川向こうの森はセンテンドレ島。
ギョリョグ通り[Görög utca] (16:33)「西南西方向」MAP
中央広場 [Főtér] (16:35)「南南西方向」MAP
工事中でよく見えないが、中央やや左に三位一体の像がある。 これはマーチャーシュ教会の隣にあった三位一体の像とは違い、セルビア正教会が造った記念碑で聖人は全て絵で描かれている。 この記念碑の下にはペスト菌の復活阻止を願い、ペストで亡くなったセルビア商人の遺体が逆さに (倒立した状態) 埋められていると言われる。 セルビアの商人たちはドナウ川を交通路として、塩の売買で生計を立てていた。
ヴォダニ通り[Bogdányi utca] (16:36)「北北東方向」MAP
店やカフェが並ぶ旧市街地、単なる民家が人が訪れるにつれ観光化された。
ヴォダニ通り[Bogdányi utca] (16:43)「北東方向」MAP
店やカフェが並ぶ旧市街地、単なる民家が人が訪れるにつれ観光化された。
駐車場の側にある露店 (17:03)「南方向」MAP


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