旅の栞(ハンガリー)

7月23日(地図)

ドナウ川クルーズ (地図)


back home next

ドナウ川クルーズ (ブダペスト)
ハンガリー料理のコルゾー・レストラン [Corso Étterem] で夕食を済ませ、クルージングへ向かう。 クルーズはドナウ川の東岸、マルギット橋 [Margit híd] の袂にある桟橋から乗船し、下流方向 (南方向) へ向かう。 マルギット橋 [Margit híd] 、"くさり橋" [Széchenyi Lánchíd] 、エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] 、自由橋 [Szabadság híd] 、ペトゥーフィ橋 [Petőfi híd] の下を通過し、再び出発点に戻る往復コース。
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] (17:43)「北北西方向」MAP
エルジェーベト橋から北方向を望む。 右端に見える黒っぽい建物はマリオット・ブダペスト・ホテル、向こうに見えている橋は "くさり橋" 。 映画、特にハリウッド映画ではマリオットホテル近辺から "くさり橋" にかけて頻繁に撮影が行われている。 理由として、アメリカのハリウッド界で活躍されている方々の中で、パラマウント映画の創始者 アドルフ・ズーカー [Adolph Zukor] がハンガリー人であることや、有名な男優、女優 、その他様々な映画関係者の中にはハンガリーの血が流れている方が多いことが挙げられる。
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] (17:43)「北北西方向」MAP
ディナ通り [Duna utca] (17:50)「北東方向」MAP
この辺りは、当時の中産階級のお屋敷街であったり、一般の方のマンション街であった街で、二重帝国時代のお金の有った時代に建てられた建物が基礎になっているため優美な建物が多い。
ハンガリー料理のコルゾー・レストラン [Corso Étterem] (18:53-18:54) MAP
このレストランでハンガリアン・グヤーシュ [Hungarian Gulyás] (郷土のシチュー) をいただき、ドナウ川クルーズへ向かう。 (このレストランはハンガリーの伝統を重視し、昔ながらのハンガリー料理のレシピを忠実に再現しているそうです。)
コルゾー・レストラン前のペテョーフィ・シャーンドル通り。 (18:57)「南東方向」MAP
コルゾー・レストラン前のペテョーフィ・シャーンドル通り。 (18:57)「南東方向」MAP
コルゾー・レストラン前のペテョーフィ・シャーンドル通り[Petőfi Sándor utca] (18:58)「南東方向」MAP
ペテョーフィ・シャーンドル通り[Petőfi Sándor utca] (18:59)「南東方向」MAP
ペテョーフィ・シャーンドル通り。 (19:00)「南方向」MAP
右の建物はパリージ裁判所 [Párisi udvar]
サバ・チャイト通り [Szabad sajtó út] (19:07)「南西方向」MAP
この通りは、エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] へ通じている。
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] (19:14)「西方向」MAP
乗船してドナウ川クルーズへ向かう。 (19:24)「西方向」MAP
前方に見える森は、マルギット島 [Margitsziget]で、左端に見える橋はマルギット橋 [Margit híd]。 かつて蒙古が襲来した際 、再襲来を恐れて当時の国王 (べーラ4世) は一人娘マルギットを神に捧げるべく島に修道院を建てた。 マルギットはそこでハンガリー国民の安全を願って、生涯祈り続けたと言われている。 この橋と島の名前は彼女の名に因んで付けられている。
クルーズ船の甲板。 (19:25)「北東方向」MAP
マルギット橋 [Margit híd] (19:26)「南西方向」MAP
この橋は、マルギット島を中心に "く" の字型になって、ブダ側に渡されている。
クルーズ開始 (19:27)「北方向」MAP
まずは舳先を返し、南 (下流) へ向かう。
マルギット橋 [Margit híd] (19:28)「南方向」MAP
この橋は、フランスの設計士エルネスト・ゴゥリン [Ernest Goüin] によって造られており、側面は多数の彫刻によって飾られている。 (パリのエッフェル塔を設計した会社が建築した。)
マルギット橋をくぐると、左手には国会議事堂、前方にはブダの王宮が見えてくる。 (19:29)「南南西方向」MAP
マルギット橋をくぐると、左手には国会議事堂、前方には王宮の丘が見えてくる。 (19:29)「南方向」MAP
中央に見えるのが国会議事堂。 (19:29)「南方向」MAP
ペスト側にある国会議事堂 [Országház] (19:30)「南南東方向」MAP
ハンガリーの国会議事堂 [Országház] (19:31)「南東方向」MAP
右岸には、左から新教プロテスタントの教会、マーチャーシュ教会、聖アンナ教会の尖塔が見える。 (19:31)「南西方向」MAP
右岸 (西側) (19:32)「西南西方向」MAP
左の尖塔はマーチャーシュ教会の尖塔、右の尖塔は聖アンナ教会の尖塔。
右岸 (西側) (19:32)「南南西方向」MAP
左に見える緑色のドームは王宮、右に見える尖塔は新教プロテスタント教会 [Budai Református Egyházközség] の尖塔。
右岸 (西側) (19:32)「西南西方向」MAP
左の尖塔はマーチャーシュ教会 [Mátyás templom] の尖塔、右の尖塔は新教プロテスタント教会 [Budai Református Egyházközség] の尖塔。
下流方向 (南方向) (19:32)「南南東方向」MAP
前方に見える橋は、"くさり橋" [Széchenyi Lánchíd] 。
下流方向 (南方向) (19:33)「南方向」MAP
前方には、"くさり橋" [Széchenyi Lánchíd] と王宮が見える。
下流方向 (南方向) (19:33)「南東方向」MAP
前方の橋は、"くさり橋" [Széchenyi Lánchíd]
西岸 (ブダ側) (19:33)「西方向」MAP
マーチャーシュ教会 [Mátyás templom] と、その手前に "漁夫の砦" [Halászbástya] が見える。
西岸 (ブダ側) (19:34)「西南西方向」MAP
セーチェーニ鎖橋 [Széchenyi Lánchíd] と、その後方には王宮の丘が見える。
西岸 (ブダ側) (19:34)「西北西方向」MAP
セーチェーニ鎖橋 [Széchenyi Lánchíd] と、その後方には王宮の丘が見える。
西岸 (ブダ側) (19:35)「西南西方向」MAP
王宮 [Budavári palota]
下流方向 (19:35)「南南東方向」MAP
前方はエルジェーベト橋 [Erzsébet híd] 。
東岸 (ペスト側) (19:36)「東南東方向」MAP
左端に見える建物は、マリオット・ブダペスト・ホテル [Mariott Budapest Hotel] 、右に見える橋は、エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] 。
下流方向 (19:36)「南南東方向」MAP
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] と、その右後方にはゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] が見える。
下流方向 (19:36)「南南東方向」MAP
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] と、その右後方にはゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] が見える。
下流方向 (19:37)「南南東方向」MAP
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] と、その右後方にはゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] が見える。
東岸 (ペスト側) (19:37)「南東方向」MAP
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] 。
東岸 (ペスト側) (19:37)「南東方向」MAP
目前にはエルジェーベト橋 [Erzsébet híd] 、その向こうには自由橋が見えている。
ゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] (19:37)「南方向」MAP
初代国王イシュトヴァーンの右腕としてイタリアから招かれたキリスト教伝道師ゲッレールト司教は当時活躍していたが、イシュトヴァーンが亡くなった後、1046年に異教徒によって捕らえられ、丘の上から樽に詰められてドナウ川に投げ捨てられたと言われている。 伝説なのか事実なのか定かではないが、この話が元で "ゲッレールトの丘" と名付けられている。
下流方向 (19:38)「南東方向」MAP
前方に見えるのは、自由橋 [Szabadság híd] 。 ゲッレールトの丘の麓にかかる橋で、建国1000年を記念して、1896年に造られた。 当初、フランツ・ヨージェフ皇帝の名が付けられていたが、人気の無かったフランツ・ヨージェフの名は定着せず、第二次世界大戦後に修復された機会に自由橋と改名された。
西岸 (ブダ側) (19:38)「南西方向」MAP
ゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] には、手にシュロの葉っぱを掲げた "自由の女神像" が建っている。 これは第二次世界大戦の際、このブダペストはドイツによって占領を受けていたが、これを救ってくれたのがソビエトで、ソビエトがブダペストの人を自由に導いてくれたという意味を持つ "自由の女神像" だった。 しかし皮肉なことに、ふたを開けてみるとそこから暗黒時代と言われる共産党主義時代が始まり、本来の意味で "自由の女神像" が意味を取り戻したは89年にベルリンの壁が崩壊してからだと言われている。 ブダペストには 「ベルリンの壁」 の一部が展示された公園があるが、これはヨーロッパ・ピクニックを記念したもので、1989年11月9日、東西冷戦の象徴だった 「ベルリンの壁」 が崩壊する前にヨーロッパ・ピクニックと題される東西の住民の交流をうたったイベントが行われた。 これは前々から大々的に宣伝され、ハンガリー政府が公認で東側の人間を西側 (オーストリア) に逃がすための偽装イベントであった。 このイベントの最中、自由を求める大量の東ドイツ国民が西側のオーストリアに脱出したが、これに対し、ソ連からの軍事的制裁が無かったことが大きな安心材料となり、やがて東独の亡命者達は奔流となってベルリンの壁をも突き崩し、東西ドイツの統一へと進んでいった。
下流方向 (19:38)「南東方向」MAP
前方に見えるのは、自由橋 [Szabadság híd] 。 ゲッレールトの丘の麓にかかる橋で、建国1000年を記念して、1896年に造られた。 当初、フランツ・ヨージェフ皇帝の名が付けられていたが、人気の無かったフランツ・ヨージェフの名は定着せず、第二次世界大戦後に修復された機会に自由橋と改名された。
東岸 (ペスト側) (19:39)「東方向」MAP
自由橋 [Szabadság híd] 。
東岸 (ペスト側) (19:39)「東方向」MAP
自由橋 [Szabadság híd] 。
東岸 (ペスト側) (19:39)「北北東方向」MAP
自由橋 [Szabadság híd] 。
ペトゥーフィ橋 [Petőfi híd] (19:45)「北西方向」MAP
ペトゥーフィ橋を南方向へ過ぎたところでUターン、上流方向へ向かう。 中央に見える丘はゲッレールトの丘。
ペトゥーフィ橋 [Petőfi híd] (19:47)「西北西方向」MAP
上流方向 (19:51)「北西方向」MAP
ゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] と自由橋 [Szabadság híd] 。
上流方向 (19:51)「北西方向」MAP
ゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] と自由橋 [Szabadság híd] 。
西岸 (ブダ側) にあるゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] (19:51)「西方向」MAP
中央にある大きな建物は、ヨーロッパでもトップを走る名門ブダペスト工科大学 [Budapesti Műszaki Egyetem] 。 ハンガリーは理数系の人が多く、コンピュータの父と呼ばれるジョン・フォン・ノイマン[John von Neumann] 、電話交換機の発明者プシュカーシュ・ティワダル[Puskás Tivadar] 、そのほかルービックキューブの考案者ルビク・エルネー [Rubik Ernő] 、ボールペンの発明者ビーロー・ラースロー・ヨーゼフ [Bíró László József] など多くの逸材を輩出している。 ちなみに、電話の挨拶で使われている "Hello" はハンガリー語の "Hallod" (聞こえますか) や "Hallom" (聞こえます) が元になっていると言われている。
西岸 (ブダ側) にあるゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] (19:51)「西方向」MAP
中央やや左にある大きな建物は、ブダペスト工科大学 [Budapesti Műszaki Egyetem] 。
上流方向 (19:52)「北西方向」MAP
ゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] と自由橋 [Szabadság híd] 。
ゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] と自由橋 [Szabadság híd] (19:55)「西北西方向」MAP
ゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] と自由橋 [Szabadság híd] (19:56)「西北西方向」MAP
上流方向 (16:56)「北西方向」MAP
手前の緑の橋は自由橋 [Szabadság híd] 、前方の白い橋はエルジェーベト橋 [Erzsébet híd] 。
自由橋 [Szabadság híd] とゲッレールトの丘 [Gellért-hegy] (19:57)「西方向」MAP
自由橋 [Szabadság híd] (19:57)「南西方向」MAP
上流方向 (19:58)「北北西方向」MAP
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] と "王宮の丘" [Vár] 。
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] と "王宮の丘" [Vár] (20:02)「西北西方向」MAP
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] と "王宮の丘" [Vár] (20:02)「西北西方向」MAP
エルジェーベト橋 [Erzsébet híd] と "王宮の丘" [Vár] (20:02)「西北西方向」MAP
"王宮の丘" [Vár] (20:03)「西北西方向」MAP
"王宮の丘" [Vár] と "くさり橋" [Széchenyi Lánchíd] (20:03)「西北西方向」MAP
"王宮の丘" [Vár] と "くさり橋" [Széchenyi Lánchíd] (20:05)「西北西方向」MAP
"くさり橋" [Széchenyi Lánchíd] (20:06)「北北西方向」MAP
王宮 [Budavári palota] と"くさり橋" [Széchenyi Lánchíd] (20:09)「西方向」MAP
王宮 [Budavári palota] と"くさり橋" [Széchenyi Lánchíd] (20:10)「西方向」MAP
西岸 (ブダ側) (20:10)「西北西方向」MAP
マーチャーシュ教会 [Mátyás templom] と、その手前に "漁夫の砦" [Halászbástya] が見える。
王宮 [Budavári palota] と"くさり橋" [Széchenyi Lánchíd] (20:10)「南西方向」MAP
西岸 (ブダ側) (20:11)「西北西方向」MAP
マーチャーシュ教会 [Mátyás templom] と、その手前に "漁夫の砦" [Halászbástya] が見える。
西岸 (ブダ側) (20:11)「北西方向」MAP
新教プロテスタントの教会、聖アンナ教会の尖塔が見える。
西岸 (ブダ側) (20:11)「南西方向」MAP
王宮 [Budavári palota] と"くさり橋" [Széchenyi Lánchíd] 。
西岸 (ブダ側) (20:13)「西方向」MAP
右岸には、左からマーチャーシュ教会、新教プロテスタントの教会、聖アンナ教会の尖塔が見える。
ペスト側 (東岸側) にある国会議事堂 [Országház] (20:15)「北東方向」MAP
設計はハンガリー人の建築家シュテインドル・イレムで、彼は世界各地を回って様々な国、時代の建築様式を学び、その結果数々の異なる様式を取り入れた折衷主義を自らの設計の基本とした。 国会議事堂が完成したのは1896年頃で、建国1000年祭博覧会の開催に合わせて造られた一大モニュメント。 造りは、国外の要人を招くため豪華絢爛に造られている。 ちなみに、高さは1896年の下二桁に合わせ96mになっている。
ペスト側にある国会議事堂 [Országház] 、前方の橋はマルギット橋 [Margit híd] (20:15)「北北東方向」MAP
国会議事堂の建物はドームを中心に左右対称になっている。 これは建てられた当時、上院議員、下院議員の二つの議会室があったためで、今ではハンガリーは一院制であるため、向かって左手で国会が開かれ、右手は国際会議場として使われている。
ペスト側にある国会議事堂 [Országház] (20:15)「北東方向」MAP
ロンドンの国会議事堂を真似て造られていると言われ、あちらはテムズ川で、こちらはドナウ川と言うことになる。 建物の屋根には鉛筆の尖ったような尖塔が365本あると言われている。 内部は5㎞に及ぶ赤い絨毯が敷き詰められ、当時の画家が描いたフレスコ画が今でも残されている。 中央のドームの下には24時間体制で、警備の人に守られながら王様の冠が残されている。 
ペスト側にある国会議事堂 [Országház] (20:17)「南方向」MAP
クルーズ船のキャビン (20:20)「北北東方向」MAP
クルーズ船桟橋に帰着 (20:26)「西方向」MAP
マリオット・ホテルでもう一泊し、明日はスロバキアへ向かう。


back home next