旅の栞(トルコ)

6月28日

イスタンブール [İstanbul]
『ボスポラス海峡クルーズ』

2024年5月31日(金)10:00をもちましてURLは下記の通り変更になります。
http://arisada.f5.si/turkey/newpage14.html

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イスタンブール[İstanbul]
イスタンブールはボスポラス海峡を挟みアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市で、330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世によってコンスタンティノープルとして再建されて以降、およそ16世紀の間、ローマ帝国 (330-395)、ビザンティン (395-1204, 1261-1453)、ラテン帝国 (1204-1261)、オスマン帝国 (1453-1922) と4つの帝国の首都であった。 1453年にオスマン帝国により都市が征服され、コンスタンティノープルの陥落が起こる以前のローマやビザンティン時代は、キリスト教発展の要であったが、征服後はイスラームの中心やオスマンのカリフの中心に変わった。  トルコ共和国がアンカラを新しい首都に制定したが、嘗て首都であったイスタンブールには、多くの宮殿やモスクが世界遺産として残されている。 因みに、モスクの中には、嘗てのキリスト教大聖堂を改造した建物もある。

 飛んでイスタンブール/庄野真代
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:09)
前方の三つ叉に分かれた水路で、左方向へ延びる水路は、ボスポラス海峡 (イスタンブル海峡) 。 前方は、マルマラ海[Marmara Denizi] 。 右方向へ延びる水路は、金角湾 [Altın Boynuz] または ハリチュ [Haliç] と呼ばれる湾。
「南南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:10)
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:10)
前方の三つ叉に分かれた水路で、左方向へ延びる水路は、ボスポラス海峡 (イスタンブル海峡) 。 前方は、マルマラ海[Marmara Denizi] 。 右方向へ延びる水路は、金角湾 [Altın Boynuz] または ハリチュ [Haliç] と呼ばれる湾。
「南南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:11)
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:11)
前方の三つ叉に分かれた水路で、左方向へ延びる水路は、ボスポラス海峡 (イスタンブル海峡) 。 前方は、マルマラ海[Marmara Denizi] 。 右方向へ延びる水路は、金角湾 [Altın Boynuz] または ハリチュ [Haliç] と呼ばれる湾。
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:11)
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:12)
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:16)
中央の建物は、アヤソフィア博物館 [Ayasofya Müzesi] 。 手前の海は、金角湾 [英:Golden Horn] 。
「南南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:16)
沖合に浮かぶ尖塔は "乙女の塔"[ Kız Kulesi] 。 英語では、"メイデンタワー" [Maiden's Tower] と呼ばれている。 元は12世紀にビザンチンが造った要塞で、オスマン時代には航行する船舶から通行税をとりたてる監視所と灯台を兼ねていた。 現在は1,2階は "ロカンタ" [Lokanta](食堂) 、最上階は展望カフェとして利用されている。 この塔にまつわる伝説には諸説あるが、日本では、次の説が多く知られている。 『昔、王様の元を訪ねてきた占い師が 「おまえの愛娘は18歳の誕生日にヘビに噛まれて命を落とすだろう」 と言った。 これを信じた王は慌てふためき、愛娘をこの塔に住まわせた。 娘が18歳になったとき、王は果物を一杯にした籠を手に塔に出かけていったため、娘は、籠の中に隠れていた毒蛇に咬まれ、予言通り死んでしまった。』
「南」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:17)
金角湾の向こう側は、旧市街、こちら側は新市街。 右手の白い大きな建物は、ドルマバフチェ宮殿 [Dolmabahçe Sarayı] 。
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:18)
ボスポラス海峡の対岸に見える地区は、ユスキュダラ [Üsküdar] 。 江利チエミさんのレパートリーにある「ウスクダラ」の楽曲でお馴染みの方も多いと思われる地区。 右手の沖合に浮かぶ尖塔は "乙女の塔"[ Kız Kulesi] 。 英語では、"メイデンタワー" [Maiden's Tower] と呼ばれている。
「南」MAPLay. 1 A

 ウスクダラ/江利チエミ       トルコのÜsküdar''a Gider İken
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:20)
右手の白い大きな建物は、ドルマバフチェ宮殿 [Dolmabahçe Sarayı] 。 対岸は、イスタンブール旧市街。
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:21)
手前の白い大きな建物は、ドルマバフチェ宮殿 [Dolmabahçe Sarayı] 。 対岸は、イスタンブール旧市街。
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:22)
中央に見える灯台は、イスタンブール旧市街の東端にある "Ahırkapı灯台" [Ahırkapı Sis Düdük ve Feneri] 。
「南南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:24)
右端に見える建物は、アヤソフィア博物館 [Ayasofya Müzesi] 。 中央やや右に見える白い建物は、トプカプ宮殿 [Topkapı Sarayı] 。
「南南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:25)
左下の大きな建物は、ドルマバフチェ宮殿 [Dolmabahçe Sarayı] 。
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:25)
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:25)
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:25)
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッド イスタンブール ボスポラス [Conrad Istanbul Bosphorus] からの眺め (07:25)
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッドでの朝食 (08:20)
MAPLay. 1 B
ホテル周辺を散策 (08:39)
Serencebey坂 [Serencebey Yokuşu] 。
「南南西」MAPLay. 1 C
ホテル周辺を散策 (08:41)
Serencebey坂 [Serencebey Yokuşu] 。
「南南西」MAPLay. 1 D
ホテル・コンラッドの客室 (10:19)
MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッドの客室 (10:19)
「北西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッドの客室 (10:19)
「西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッドの客室 (10:20)
「南西」MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッドの客室 (10:20)
MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッドのロビー (10:26)
MAPLay. 1 A
ホテル・コンラッドのロビー (10:27)
MAPLay. 1 A
右手の円形の外壁は、ボーダフォン・アリーナ [Vodafone Arena] の外壁 (10:50)
「北西」MAPLay. 1 E
Meclis-i Mebusan 通り [Meclis-i Mebusan Caddesi] (10:53)
「西」MAPLay. 1 F
Kabataş Motor 桟橋 [Kabataş Motor İskelesi] (11:04)
「東」MAPLay. 1 G
Kabataş Motor 桟橋 [Kabataş Motor İskelesi] (11:05)
ボスポラス海峡クルーズへ出帆。
「東」MAPLay. 1 H
Kabataş Motor 桟橋 [Kabataş Motor İskelesi] (11:05)
ボスポラス海峡クルーズへ出帆。
「東北東」MAPLay. 1 I
Kabataş Motor 桟橋 [Kabataş Motor İskelesi] (11:05)
ボスポラス海峡クルーズへ出帆。
「南東」MAPLay. 1 J
ドルマバフチェ・ジャーミイ [Dolmabahçe Camii] (11:06)
新古典主義様式のモスク。 建設年:1852~55年、建設者:ベズミアーレム・ヴァーリデ・スルタンと息子のアブデュルメジト1世 (在位1839-61) 、建築家:クリコルの息子のガラベト・バルヤン。
「北北東」MAPLay. 1 K
ボスポラス海峡クルーズ (11:07)
「東北東」MAPLay. 1 L
ドルマバフチェ・ジャーミイ と ドルマバフチェ宮殿の時計塔 (11:07)
ドルマバフチェ・ジャーミイの右に見える高い塔は、ドルマバフチェ宮殿の時計塔 [Dolmabahçe Sarayı Saat Kulesi] 。
「北北西」MAPLay. 1 M
中央やや左の大きな建物は、ドルマバフチェ宮殿 [Dolmabahçe Sarayı] (11:08)
「北東」MAPLay. 1 N

1963年に、映画 「007ロシアより愛を込めて」 のロケが、この辺りの船上で行われた。

Movie 『007 ロシアより愛をこめて
ドルマバフチェ・ジャーミイ [Dolmabahçe Camii] (11:08)
ドルマバフチェ宮殿 [Dolmabahçe Sarayı] で暮らすスルタンは、このモスクで礼拝をしていた。
「西」MAPLay. 1 O

1963年に、映画 「007ロシアより愛を込めて」 のロケが、この辺りの船上で行われた。

Movie 『007 ロシアより愛をこめて
ドルマバフチェ宮殿 [Dolmabahçe Sarayı] (11:09)
ドルマバフチェとはトルコ語で「埋め立てられた庭」を意味し、ボスポラス海峡に面する埋立地にあることに由来する。 1843年から1856年にかけて、オスマン帝国のスルターン、アブドゥル=メジド1世により建造。 バロック様式を採り入れたオスマン建築の宮殿であり、豪華な装飾や巨大なシャンデリアがある。 共和国となった1923年以降は政府の施設となり、初期には大統領官邸として利用され、現在は迎賓館になっている。
「北北東」MAPLay. 1 P

1963年に、映画 「007ロシアより愛を込めて」 のロケが、この辺りの船上で行われた。

Movie 『007 ロシアより愛をこめて
ドルマバフチェ宮殿 [Dolmabahçe Sarayı] (11:09)
ドルマバフチェ宮殿は、ヨーロッパから取り入れたバロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した豪華な宮殿で、外観や装飾は近代西洋風であるが、建物の内部は男性向けの空間 "セラームルク" [Selamlık] と女性のみの空間 "ハレム" [Harem] に二分割され、ハレム*には多くの侍女や宦官も勤務した。ボスポラス海峡に向かう面は海側に門と桟橋を備え、宮殿から公道に出ずに船でイスタンブル市内を自由に行き来できるようになっている。
「北」MAPLay. 1 Q

1963年に、映画 「007ロシアより愛を込めて」 のロケが、この辺りの船上で行われた。

Movie 『007 ロシアより愛をこめて
ドルマバフチェ宮殿 [Dolmabahçe Sarayı] (11:09)
オスマン帝国の皇帝がいなくなった後も、政府の迎賓館として使われており、現在は観光客の見学に開放されている。
「北」MAPLay. 1 R

1963年に、映画 「007ロシアより愛を込めて」 のロケが、この辺りの船上で行われた。

Movie 『007 ロシアより愛をこめて
ボスポラス海峡クルーズ (11:10)
「西南西」MAPLay. 1 S

1963年に、映画 「007ロシアより愛を込めて」 のロケが、この辺りの船上で行われた。

Movie 『007 ロシアより愛をこめて
ボスポラス海峡クルーズ (11:10)
「北北東」MAPLay. 1 T
ボスポラス海峡クルーズ (11:11)
「北北東」MAPLay. 1 U
ボスポラス海峡クルーズ (11:13)
「西南西」MAPLay. 1 V
ボスポラス海峡クルーズ (11:13)
フォーシーズンズ・イスタンブール・ボスポラス [Four Seasons Istanbul at the Bosphorus] ホテル。
「北」MAPLay. 1 W
ボスポラス海峡クルーズ (11:14)
フォーシーズンズ・イスタンブール・ボスポラス [Four Seasons Istanbul at the Bosphorus] ホテル。
「西北西」MAPLay. 1 X
ボスポラス海峡クルーズ (11:14)
「西南西」MAPLay. 1 Y
チュラーン宮殿 [Çırağan Sarayı] (11:15)
私邸用に建設されたバロック様式が主な建物。 1910年の火災いらい荒廃していたが、1987年に日本の熊谷組が修復し、現在はホテルの施設として利用されている。 建設年:1863~1871年 建設者:アブデュルアズィス1世 (在位 1861~76) 建築家:ニゴーオス・バルヤンの弟サルキス・バルヤン。
「北」MAPLay. 1 Z
チュラーン宮殿 [Çırağan Sarayı] (11:15)
私邸用に建設されたバロック様式が主な建物。 1910年の火災いらい荒廃していたが、1987年に日本の熊谷組が修復し、現在はホテルの施設として利用されている。 因みに、このホテルは、高級ホテルで、日本の小泉首相や森首相を始め、各国の要人が宿泊している。
「西北西」MAPLay. 1 a
ガラタサライ大学 [Galatasaray University] 、Kabataş高校 [Kabataş Erkek Lisesi] (11:18)
「西北西」MAPLay. 1 b
ガラタサライ大学 [Galatasaray University] 、Kabataş高校 [Kabataş Erkek Lisesi] (11:18)
「西北西」MAPLay. 1 c
オルタキョイ [Ortaköy] (11:19)
手作りアクセサリーにおしゃれな靴、画材店に雑貨店、帽子に古いおもちゃ。 個性を持った店が多く、他では手に入りにくいと思われる商品が並んでいる。 若者達が集う街といえる。
「北」MAPLay. 1 d
オルタキョイ [Ortaköy] (11:19)
ボスポラス海峡沿いの街で、開放感にみち、若者達のパワーがあふれている。 0時過ぎ夜景を撮りに、この辺りに来たが、若者達は大勢でダンス (フォークダンス) を楽しみ、周りでは多くの店が営業を続けていた。 結局お祭り騒ぎのような人混みに圧倒され、撮影は出来なかったが、若者達の健全なパワーは印象に残っている。
「北」MAPLay. 1 e
オルタキョイ [Ortaköy] (11:20)
スポラス海峡に架かる、 第一ボスポラス大橋(1973年建設) 。 別名ボアズィチ*大橋 [Boğaziçi Köprüsü] 全長:1,510m 、中央支間長:1,074m 、幅員:39m(6車線)、高さ:64m 、主塔の高さ: 105m 。
「北北東」MAPLay. 1 f

ボアズィチ [Boğaziçi] はトルコ語でボスポラス海峡を意味する。
第一ボスポラス大橋 (11:20)
ボスポラス海峡に架かる、 第一ボスポラス大橋(1973年建設) 。 別名ボアズィチ*大橋 [Boğaziçi Köprüsü] 全長:1,510m 、中央支間長:1,074m 、幅員:39m(6車線)、高さ:64m 、主塔の高さ: 105m 。
「北」MAPLay. 1 g

ボアズィチ [Boğaziçi] はトルコ語でボスポラス海峡を意味する。
第一ボスポラス大橋 (11:20)
ボスポラス海峡に架かる、 第一ボスポラス大橋(1973年建設) 。 前方は、アジア側。 別名ボアズィチ*大橋 [Boğaziçi Köprüsü] 全長:1,510m 、中央支間長:1,074m 、幅員:39m(6車線)、高さ:64m 、主塔の高さ: 105m 。
「南東」MAPLay. 1 h

ボアズィチ [Boğaziçi] はトルコ語でボスポラス海峡を意味する。
第一ボスポラス大橋 (11:21)
ボスポラス海峡に架かる、 第一ボスポラス大橋(1973年建設) 。 前方は、アジア側。 別名ボアズィチ*大橋 [Boğaziçi Köprüsü] 全長:1,510m 、中央支間長:1,074m 、幅員:39m(6車線)、高さ:64m 、主塔の高さ: 105m 。
「南」MAPLay. 1 i

ボアズィチ [Boğaziçi] はトルコ語でボスポラス海峡を意味する。
第一ボスポラス大橋 (11:21)
右手は、ヨーロッバ側。 左手は、アジア側。
「西南西」MAPLay. 1 j
第一ボスポラス大橋 (11:22)
右手は、ヨーロッバ側。 左手は、アジア側。
「南西」MAPLay. 1 k
Cemil Topuzluパーク [Cemil Topuzlu Parkı] (11:22)
「北北西」MAPLay. 1 l
ボスポラス海峡クルーズ (11:22)
「北北東」MAPLay. 1 m
第一ボスポラス大橋 と Cemil Topuzluパーク (右岸) (11:24)
「南南西」MAPLay. 1 n
ボスポラス海峡クルーズ (11:24)
「南南西」MAPLay. 1 o
ボスポラス海峡クルーズ (11:25)
「西」MAPLay. 1 p
ボスポラス海峡クルーズ (11:25)
「南西」MAPLay. 1 q
ガラタサライ島 [Galatasaray Adası] (11:26)
プールやレストランなどを備えたレジャー施設。
「北西」MAPLay. 1 r
ガラタサライ島 [Galatasaray Adası] (11:26)
プールやレストランなどを備えたレジャー施設。
「西」MAPLay. 1 s
ガラタサライ島 [Galatasaray Adası] (11:26)
プールやレストランなどを備えたレジャー施設。
「西南西」MAPLay. 1 t
ガラタサライ島 [Galatasaray Adası] (11:26)
プールやレストランなどを備えたレジャー施設。
「西南西」MAPLay. 1 u
ガラタサライ島 [Galatasaray Adası] (11:27)
プールやレストランなどを備えたレジャー施設。
「南西」MAPLay. 1 v
ボスポラス海峡クルーズ (11:28)
「南」MAPLay. 2 A
ボスポラス海峡クルーズ (11:31)
「北西」MAPLay. 2 B
ボスポラス海峡クルーズ (11:31)
写真では確認しにくいが、ボスポラス海峡の潮流は、左方向 (黒海からマルマラ海方向) へ、かなりのスピードで流れている。 因みに、ボスポラス海峡の潮流は、常に黒海からマルマラ海に向かって流れている事は、以前から知られている。 では、ボスポラス海峡は川 (淡水)?。 実は、黒海側の海水は、流れ込む河川の影響で希釈され、塩分濃度が薄くなっている。 そのため比重が軽くなった海水は、海峡表層部を常にマルマラ海側に流れ、マルマラ海側の塩分濃度の高い海水は、逆に下層部を流れ、黒海に流入する。
「西」MAPLay. 2 C
ボスポラス海峡クルーズ (11:31)
「南西」MAPLay. 2 D
ボスポラス海峡クルーズ (11:32)
「北北東」MAPLay. 2 E
ボスポラス海峡クルーズ (11:33)
「北」MAPLay. 2 F
ボスポラス海峡クルーズ (11:34)
「南南西」MAPLay. 2 G
ボスポラス海峡クルーズ (11:34)
「南南西」MAPLay. 2 H
ボスポラス海峡クルーズ (11:34)
「北北東」MAPLay. 2 I
ボスポラス海峡クルーズ (11:35)
「南」MAPLay. 2 J
ボスポラス海峡クルーズ (11:38)
撮り漏らしたが、この辺りの海峡には、イルカがいるらしい。
「北東」MAPLay. 2 K
ボスポラス海峡クルーズ (11:39)
撮り漏らしたが、この辺りの海峡には、イルカがいるらしい。
「北東」MAPLay. 2 L
ボスポラス海峡クルーズ (11:39)
右手に見える橋は、第二ボスポラス橋 [Second Bosphorus Bridge] 。 左に見える塔は、ルメリ・ヒサーリ [Rumeli Hisarı] 。
「北」MAPLay. 2 M
ボスポラス海峡クルーズ (11:40)
右手に見える橋は、第二ボスポラス橋 [Second Bosphorus Bridge] 。 左に見える塔は、ルメリ・ヒサーリ [Rumeli Hisarı] 。
「北」MAPLay. 2 N
ルメリ・ヒサーリ [Rumeli Hisarı] (11:40)
オスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープル郊外(現在のイスタンブル)に造営した城塞。 「ローマの城」という意味をもつ。
「北」MAPLay. 2 O
ルメリ・ヒサーリ [Rumeli Hisarı] (11:41)
メフメト2世が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略中の1452年に、わずか4か月ほどの短期間で造営し、攻略の拠点となった要塞。
「北西」MAPLay. 2 P
ルメリ・ヒサーリ [Rumeli Hisarı] (11:41)
メフメット2世 [Mehmet II] は、ボスポラス海峡の封鎖体制を調えるため、曾祖父バヤズィット1世が築いたアナドル・ヒサーリ (アジアの砦) を補修するとともに、その向かい側のヨーロッパ岸に、新たにルメリ・ヒサーリ (ヨーロッパの砦) の建設を始めた。 ビザンチン皇帝の再三の抗議にもかかわらず工事は進められ、7月には砦が完成した。
「北西」MAPLay. 2 Q
ルメリ・ヒサーリ [Rumeli Hisarı] (11:41)
「北西」MAPLay. 2 R
ルメリ・ヒサーリ [Rumeli Hisarı] (11:42)
ボスポラス海峡の最狭部(幅660メートルほど)のヨーロッパ・サイドに位置する要塞。 対岸のアジア・サイドにはアナドル・ヒサル [Anadolu Hisar] がある。
「西北西」MAPLay. 2 S
ファーティフ・スルタン・メフメト橋 [Fatih Sultan Mehmet Köprüsü] (11:42)
第二ボスポラス橋 [Second Bosphorus Bridge] の通称でも知られる ヨーロッパとアジアを結ぶ橋で、欧州自動車道80号線(E80)及びアジアハイウェイ1号線(A1)が通る。 日本の政府開発援助のもと、石川島播磨重工業(現IHI)や三菱重工業などにより建設され、1988年に完成した。 同年に開通した瀬戸大橋とは姉妹橋の関係にある。
「北」MAPLay. 2 T
ボスポラス海峡クルーズ (11:42)
右手に見える橋は、第二ボスポラス橋 [Second Bosphorus Bridge] 。 左に見える塔は、ルメリ・ヒサーリ [Rumeli Hisarı] 。
「北北西」MAPLay. 2 U
ボスポラス海峡クルーズ (11:43)
「南南西」MAPLay. 2 V
ボスポラス海峡クルーズ (11:45)
中央のおじさんは、チャイ [Chai] 売りのおじさん。
「南」MAPLay. 2 W
ボスポラス海峡クルーズ (11:46)
「東北東」MAPLay. 2 X
ボスポラス海峡クルーズ (11:46)
「北東」MAPLay. 2 Y
ボスポラス海峡クルーズ (11:47)
「東南東」MAPLay. 2 Z
ボスポラス海峡クルーズ (11:47)
「北」MAPLay. 2 a
ボスポラス海峡クルーズ (11:47)
「北北西」MAPLay. 2 b
ボスポラス海峡クルーズ (11:51)
「北」MAPLay. 2 c
ボスポラス海峡クルーズ (11:51)
「南南西」MAPLay. 2 d
クレリ陸軍士官学校 [Kuleli Askerî Lisesi] (11:52)
明治23年(1890年)、のオスマン帝国軍艦エルトゥールル号の遭難事件に際し、明治25年(1892年)、山田寅次郎は義捐金を携えてオスマン帝国の首都、イスタンブルに渡った。 同年4月、イスタンブルに到着した寅次郎は、遠いい日本から民間人でありながら義捐金をもって自らやってきたことがイスタンブールの人々に知れわたると、彼はイスタンブールの朝野から熱烈な歓迎を受け、皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれた。 その後、アブデュルハミト2世から士官学校での日本語の教育や、東洋の美術品の整理を任される事になる、そして職務に就いたのが、この士官学校であった。 因みに、拝謁の際に、献上した生家、中村家伝来 (山田は養子入り後の姓) の甲冑は、現在もトプカプ宮殿博物館に保存、展示されている。 (下図参照)
「東南東」MAPLay. 2 e

【親日国】トルコと日本が絆を深めた4つの歴史的な出来事  出典:CuRAZY
山田寅次郎が皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する際、献上した中村家伝来の甲冑
クレリ陸軍士官学校 [Kuleli Askerî Lisesi] (11:53)
寅次郎のイスタンブル滞在中に起こった日露戦争では、ロシア黒海艦隊所属の艦艇3隻が商船に偽装し、ボスポラス海峡を通過したとの情報が寅次郎によって、日本へもたらされた。 当初、重要情報として高い評価を受けたが、最近の研究では戦況を左右するものではなかったとされている。
「北」MAPLay. 2 f

【親日国】トルコと日本が絆を深めた4つの歴史的な出来事  出典:CuRAZY
ボスポラス海峡クルーズ (11:57)
水辺に建っているモスクは、ベイレルベイモスク [Beylerbeyi Camii] 。
「南東」MAPLay. 2 g
第一ボスポラス大橋 (11:58)
「西北西」MAPLay. 2 h
ベイレルベイ宮殿 [Beylerbeyi Sarayı ] (11:58)
宮殿名「ベイレルベイ」は「王の中の王」を意味し、1863 年 ~ 1864年に、オスマン帝国のスルタンが夏を過ごすための離宮として建設。 建築者:アブデュルアズィス1世 (在位 1861~76) 建築家:ニゴーオス・バルヤンの弟サルキス・バルヤン。
「南」MAPLay. 2 i
ベイレルベイ宮殿 [Beylerbeyi Sarayı ] (11:58)
この宮殿は、最高級の貴賓の宿泊施設としても使用。 色々な様式が混じっているが、バロック様式が主な建物。 現在は博物館として公開されている。
「南」MAPLay. 2 j
第一ボスポラス大橋 (11:58)
ボスポラス海峡に架かる、 第一ボスポラス大橋(1973年建設) 。 別名ボアズィチ*大橋 [Boğaziçi Köprüsü] 全長:1,510m 、中央支間長:1,074m 、幅員:39m(6車線)、高さ:64m 、主塔の高さ: 105m 。
「北西」MAPLay. 2 k

ボアズィチ [Boğaziçi] はトルコ語でボスポラス海峡を意味する。
ボスポラス海峡クルーズ (11:59)
「北東」MAPLay. 2 l
第一ボスポラス大橋 (12:00)
ボスポラス海峡に架かる、 第一ボスポラス大橋(1973年建設) 。 別名ボアズィチ*大橋 [Boğaziçi Köprüsü] 全長:1,510m 、中央支間長:1,074m 、幅員:39m(6車線)、高さ:64m 、主塔の高さ: 105m 。
「北北東」MAPLay. 2 m

ボアズィチ [Boğaziçi] はトルコ語でボスポラス海峡を意味する。
ボスポラス海峡クルーズ (12:00)
「北北西」MAPLay. 2 n
ボスポラス海峡クルーズ (12:01)
「西北西」MAPLay. 2 o
ボスポラス海峡クルーズ (12:02)
「西北西」MAPLay. 2 p
ボスポラス海峡クルーズ (12:02)
「西北西」MAPLay. 2 q
ボスポラス海峡クルーズ (12:03)
「西北西」MAPLay. 2 r
ボスポラス海峡クルーズ (12:04)
「北」MAPLay. 2 s
ボスポラス海峡クルーズ (12:04)
「北東」MAPLay. 2 t
ボスポラス海峡クルーズ (12:04)
「北西」MAPLay. 2 u
ボスポラス海峡クルーズ (12:08)
中央に見える塔は、ユスキュダラ・Salacak海岸沖にある、乙女の塔 [ Kız Kulesi] 。
「南南西」MAPLay. 2 v

1974年に、ユスキュダラSalacak桟橋 [Üsküdar Salacak İskelesi](MAP) で、映画 『オリエント急行殺人事件』 のロケが行われた。

Movieオリエント急行殺人事件
ボスポラス海峡クルーズ (12:08)
「北西」MAPLay. 2 w
ユスキュダラ [Üsküdar] (12:08)
江利チエミさんのレパートリーにある「ウスクダラ」の楽曲でお馴染みの方も多いと思われる地区。
「南南東」MAPLay. 3 A

  ウスクダラ/江利チエミ      トルコのÜsküdar''a Gider İken
ユスキュダラ [Üsküdar] (12:08)
江利チエミさんのレパートリーにある「ウスクダラ」の楽曲でお馴染みの方も多いと思われる地区。
「南南東」MAPLay. 3 B

  1974年に、ユスキュダラSalacak桟橋 [Üsküdar Salacak İskelesi](MAP) で、映画 『オリエント急行殺人事件』 のロケが行われた。

Movieオリエント急行殺人事件
乙女の塔 [ Kız Kulesi] (12:09)
英語では、"メイデンタワー" [Maiden's Tower] と呼ばれている。 元は12世紀にビザンチンが造った要塞で、オスマン時代には航行する船舶から通行税をとりたてる監視所と灯台を兼ねていた。 現在は1,2階は "ロカンタ" [Lokanta](食堂) 、最上階は展望カフェとして利用されている。 この塔にまつわる伝説には諸説あるが、日本では、次の説が多く知られている。 『昔、王様の元を訪ねてきた占い師が 「おまえの愛娘は18歳の誕生日にヘビに噛まれて命を落とすだろう」 と言った。 これを信じた王は慌てふためき、愛娘をこの塔に住まわせた。 娘が18歳になったとき、王は果物を一杯にした籠を手に塔に出かけていったため、娘は、籠の中に隠れていた毒蛇に咬まれ、予言通り死んでしまった。』
「南」MAPLay. 3 C

1974年に、ユスキュダラSalacak桟橋 [Üsküdar Salacak İskelesi](MAP) で、映画 『オリエント急行殺人事件』 のロケが行われた。

Movieオリエント急行殺人事件
ユスキュダラ [Üsküdar] (12:09)
江利チエミさんのレパートリーにある「ウスクダラ」の楽曲でお馴染みの方も多いと思われる地区。
「南東」MAPLay. 3 D

  ウスクダラ/江利チエミ       トルコのÜsküdar''a Gider İken
ユスキュダラ [Üsküdar] (12:10)
江利チエミさんのレパートリーにある「ウスクダラ」の楽曲でお馴染みの方も多いと思われる地区。
「南東」MAPLay. 3 E

  1974年に、ユスキュダラSalacak桟橋 [Üsküdar Salacak İskelesi](MAP) で、映画 『オリエント急行殺人事件』 のロケが行われた。

Movieオリエント急行殺人事件
ボスポラス海峡クルーズ (12:10)
左側の水路はマルマラ海 [Marmara Denizi] へ 、右の水路は金角湾 [Altın Boynuz]へ到る。 前方の陸地は、イスタンブール旧市街。
「西南西」MAPLay. 3 F
ボスポラス海峡クルーズ (12:12)
イスタンブール新市街側にある、カラキョイ [Karaköy] (ガラタ) 地区。
「西北西」MAPLay. 3 G
ベイオール [Beyoğlu] 地区 (12:12)
「北西」MAPLay. 3 H
ボスポラス海峡クルーズ (12:13)
金角湾 [Haliç] の入口。 金角湾を挟み、左はイスタンブール旧市街、右は新市街。
「西南西」MAPLay. 3 I
ボスポラス海峡クルーズ (12:13)
2012年6月28日現在 (撮影時) 、この海峡の下では、ボスポラス海峡を横断する海底鉄道トンネルにより、イスタンブルのヨーロッパ側とアジア側を接続する、マルマライ [Marmaray]* プロジェクトが進められている。
 Marmarayの名称は事業区域のすぐ南にあるマルマラ海 [Marmara] と、トルコ語で鉄道を意味するrayの混成語。
「東北東」MAPLay. 3 J

関連サイト (独立行政法人 国際協力機構) PDF
ボスポラス海峡クルーズ (12:13)
2012年6月28日現在 (撮影時) 、ボスポラス海峡を横断する海底鉄道トンネルは、日本の支援 (円借款) で、大成建設株式会社とトルコ企業のガマ、ヌロールのジョイントベンチャー (TGN) が建設を請け負い、進められている。
「東北東」MAPLay. 3 K

関連サイト (独立行政法人 国際協力機構) PDF
カラキョイ [Karaköy] (ガラタ) 地区 (12:14)
「西北西」MAPLay. 3 L
金角湾 [Haliç*] の入口 (12:15)
左は、イスタンブール旧市街。 右手は、ガラタ橋 [Galata Köprüsü] 。
「西南西」MAPLay. 3 M

 トルコ語では通常ハリチュ(Haliç、ハリチ、「入り江」の意)と呼ばれる。
金角湾 [Haliç] の入口 (12:16)
前方の橋は、ガラタ橋 [Galata Köprüsü] 。
「西」MAPLay. 3 N
金角湾 [Haliç] の入口 (12:16)
カラキョイ [Karaköy] (ガラタ) 地区。 中央に見える塔は、ガラタ塔 [Galata Kulesi] 。
「北西」MAPLay. 3 O
金角湾 [Haliç] の入口 (12:16)
左は、イスタンブール旧市街。 右手は、ガラタ橋 [Galata Köprüsü] 。
「西南西」MAPLay. 3 P
金角湾 [Haliç*] の入口 (12:17)
写真中央の丘の上にある尖塔は、トプカプ宮殿 [Topkapı Sarayı] 。
「南」MAPLay. 3 Q

 トルコ語では通常ハリチュ(Haliç、ハリチ、「入り江」の意)と呼ばれる。
金角湾 [Altın Boynuz] の入口 (12:18)
左側の旧市街に見える二つのモスクは、左がイェニモスク [Yeni Cami] 、右がスレイマニエ・モスク [Süleymaniye Camii] 。
「西南西」MAPLay. 3 R
金角湾 [英:Golden Horn] の入口 (12:19)
左側の旧市街に見える二つのモスクは、左がイェニモスク [Yeni Cami] 、右がスレイマニエ・モスク [Süleymaniye Camii] 。 スレイマニエ・モスクはスレイマニエ・キュッリエシ [Süleymaniye Külliyesi] とも呼ばれスレイマン1世が自身の名を冠して建設した、トルコ最大のキュッリエ*1。 キュッリエの建物の殆どが、創建当時のまま現存している。 モスク以外の建物の多くは、図書館、レストラン、チャイハーネ*2、食堂、ハマム*3などとして、現存も使用されている。 建設年:1550 ~ 57年 建設者:スレイマン1世 建築家:ミマール・スィナン
「西南西」MAPLay. 3 S

*1 キュッリエ [Külliye] は、モスクを中心に建設された、宗教施設と慈善施設の集合体。 *2 チャイハーネ [Kahvehane] は、喫茶店。 *3 ハマム [Hamam] は、浴場、風呂。
金角湾 [Haliç] の入口 (12:19)
カラキョイ [Karaköy] (ガラタ) 地区。 中央に見える塔は、ガラタ塔 [Galata Kulesi] 。
「北北西」MAPLay. 3 T
ガラタ橋 [Galata Köprüsü] (12:19)
トルコのイスタンブルの金角湾に架かる可動橋(跳ね橋)で、初代の橋は1845年に開通した。 現在の橋は1994年12月に開通した5代目。 長さ490m、主橋脚間80m、幅42mで片側3車線と歩道を備え、市街電車も通る。 船が通行する中央部以外は上下二層になっており、上層が車道、下層がレストラン街となっている。
「西北西」MAPLay. 3 U
ガラタ橋 [Galata Köprüsü] (12:19)
トルコのイスタンブルの金角湾に架かる可動橋(跳ね橋)で、初代の橋は1845年に開通した。 現在の橋は1994年12月に開通した5代目。 長さ490m、主橋脚間80m、幅42mで片側3車線と歩道を備え、市街電車も通る。 船が通行する中央部以外は上下二層になっており、上層が車道、下層がレストラン街となっている。
「西」MAPLay. 3 V
ガラタ橋 [Galata Köprüsü] (12:19)
トルコのイスタンブルの金角湾に架かる可動橋(跳ね橋)で、初代の橋は1845年に開通した。 現在の橋は1994年12月に開通した5代目。 長さ490m、主橋脚間80m、幅42mで片側3車線と歩道を備え、市街電車も通る。 船が通行する中央部以外は上下二層になっており、上層が車道、下層がレストラン街となっている。
「西南西」MAPLay. 3 W
ガラタ橋 [Galata Köprüsü] (12:20)
右手に見える橋が、ガラタ橋、左手に見えるモスクは、イェニモスク [Yeni Cami] 。
「南南西」MAPLay. 3 X
金角湾 [Haliç] (12:20)
ガラタ橋の下を通過中。
「南東」MAPLay. 3 Y
湾内から見たガラタ橋 (12:21)
上層が車道、下層がレストラン街となっている。 橋の上で、並んでいるのは釣り人。
「北東」MAPLay. 3 Z
湾内から見たガラタ橋 (12:21)
上層が車道、下層がレストラン街となっている。 この大都会で、釣り人の多いのには驚かされる。
「東」MAPLay. 3 a
湾内から見たガラタ橋 (12:21)
上層が車道、下層がレストラン街となっている。 橋の上で、並んでいるのは釣り人。
「東北東」MAPLay. 3 b
湾内から見たガラタ橋 (12:22)
上層が車道、下層がレストラン街となっている。 クルーズは終わり、ここで下船する。
「南」MAPLay. 3 c
湾内から見たガラタ橋 (12:24)
中央の小舟は、私たちが乗っていたクルーズ船。
「南」MAPLay. 3 d

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