旅の栞(トルコ)

6月23日

カタライ神学校 [Karatay Medresesi]
アラアッディン・カイクバート・ジャーミィ
[Alaeddin Keykubad Camii]

インジェ・ミナーレ神学校 [İnce Minare Medresesi]

2024年5月31日(金)10:00をもちましてURLは下記の通り変更になります。
http://arisada.f5.si/turkey/newpage6.html

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コンヤ [Konya]
トルコの中部地方にあたり、面積では1番、人口 (150万人) では6番目に大きな町で、イスラム教の1番熱心な町。 産業の中心は農業で、麦や砂糖大根が栽培されている。 特に麦は有名でトルコの麦の57%がここで栽培されている。 イスラム神秘主義の一派メヴレヴィー教団の発祥地としても広く知られ、見学に訪れるトルコ国内のムスリムも多い。 町自体は先史時代にまで遡るほど古い歴史をもつ。 しかし、コンヤが最も繁栄したのは13世紀頃のこと。 1077年にルーム・セルジューク [Rum Selçukluları] 朝が首都をイズニックからコンヤに移した後、カイクバート1世 [KeykubadⅠ] 時代に著しく発展した。 この頃、芸術家や建築家、イスラム関係の科学者などを東方から集めて学校が開かれ、コンヤ文化が花開いた。 市内に残っている神学校や遺跡のほとんどはその頃のものであり、メヴレヴィー教団の創始者メヴラーナ ジェラレッディン ルミ [Mevlânâ Celaleddin-i Rumi] もそうした学者の一人であった。 彼は、1207年にアフガニスタンで生まれた後、1220年にコンヤ(Konya)に移り、1231年に宗教科学の学者としての地位を得た後、自分の知識や思想を多くの人達に伝えつづけた。 彼の教義は、イスラム教という枠を越え、宗教や過去を問わず、全ての人を受け入れ、限りなく寛容で、慈善と善良をもって、神と人間の心が一つになることを説いていた。 メヴラーナが亡くなった後にダルヴィッシュ [Derviş]* (托鉢行や乞食行を実践する修行者を指す) と呼ばれる修行僧によってメヴラーナ旋舞教団という組織がつくられ、神秘的な音楽にのせて踊るセマー (旋舞) [Sema] が発祥した。 現在も町は商都として繁栄し、さらに大きく変貌しつつある。 ユネスコはメヴラーナの出生800周年記念のため、2007年が「メヴラーナ年」と発表した。 ちなみに神秘教団の活動は、アタチュルクの宗教分離政策によって禁止されたが、現在も少数が信仰を受け継いでいる。 
野球選手の"ダルヴィッシュ 有"の"ダルヴィッシュ"はこの名に因んだものと言われている。
リクソス コンヤ [Rixos Konya] (15:40)
先にチェックインのみ済ませ、観光に向かう。
「西」MAPLay. 2 b
リクソス コンヤ [Rixos Konya] (15:42)
大きな荷物はホテルに預けて観光に向かう。
「南南東」MAPLay. 2 b
リクソス コンヤ [Rixos Konya] (15:43)
回転ドアには、セマーの儀式を模したパネルが嵌めこまれている。 上に向けた右手で神の知恵を受け取り、下に向けた左手で庶民に知恵を伝える。 帽子は墓石、ジャケットは墓、スカートは葬式用の覆いの象徴。 ジャケットを脱ぐ行為は地上の束縛からの解放、墓からの脱出を示す。
「南南西」MAPLay. 2 b
(15:46)
「西南西」MAPLay. 2 c
(15:47)
「西」MAPLay. 2 d
"新イスタンブール通り" を走るバスからの風景。 このあたりは新興住宅地で、まだ人影は殆ど見られない。
新イスタンブール通り [Yeni İstanbul Caddesi] を走るバスからの風景 (15:47)
左に見えている道路が、新イスタンブール通り。
「南」MAPLay. 2 e
カタライ神学校 (カタライ・マドラサ) [Karatay Medresesi] (16:09)
13世紀から残っている、カタライ神学校の正面門。
「西南西」MAPLay. 2 f
カタライ神学校 (カタライ・マドラサ) [Karatay Medresesi] (16:10)
1251年にセルジューク朝のジェラレッディン・カラタイ [Celaleddin Karatay] 宰相によって造られた神学校で、設計者は不明。 オスマン帝国時代の19世紀末まで神学校として使用されていた。 特徴的な正面門はセルジューク様式の美しい浮き彫りスタラクタイト [英:Stalactite] (鍾乳石) で飾られ芸術的価値も高い。 1955年に「陶器博物館」として開館した。ベイシェヒル湖の周辺にあるクバダバート宮殿の発掘で発見された壁のタイル、ガラス製の皿や、コンヤとその周辺で発見されたセルジューク朝とオスマン帝国時代のタイル、陶器製の皿、ランプ、漆喰製の出土品が多数展示されている。
「北西」MAPLay. 2 f
Karatay Medresesi (16:10)
スタラクタイト [英:Stalactite] (鍾乳石) で飾られた正面門。 鍾乳石飾りは、スペインのアルハンブラ宮殿でよく見られる。
「北西」MAPLay. 2 f
カタライ神学校の正面門 (16:10)
「北西」MAPLay. 2 f
カタライ神学校の正面門 (16:11)
「南南西」MAPLay. 2 f
カタライ神学校の正面門内側 (16:12)
「東」MAPLay. 2 f
カタライ神学校の正面門 (16:12)
「南西」MAPLay. 2 f
ヒジャブで装ったトルコ女性と2ショット (16:13)
「南」MAPLay. 2 g
Alaaddin Tepesinden II. Kılıçarslan Köşkü (16:14)
アラアッディンの丘にある、クルチアルスラン宮殿の日干し煉瓦壁 (城壁) の残骸。 コンクリートの屋根で保されている。
「南南西」MAPLay. 2 h
Alaaddin Tepesinden II. Kılıçarslan Köşkü (16:16)
南西」MAPLay. 2 i
Alaeddin Keykubad Camii (16:17)
「南南西」MAPLay. 2 j
アラアッディン・カイクバート・ジャーミィ [Alaeddin Keykubad Camii] (16:19)
1221年、ルーム・セルジューク [Rum Selçuklular] 朝の最盛期を作り上げたカイクバート1世 [KeykubadⅠ] の時代に完成。 アナトリア地方におけるセルジューク朝ジーミイで最大のもので、アラアッディン [Alaeddin] の丘にあるため、この名が付いた。 このモスクにはドームがあるが、トルコ人が中央アジアからアナトリア地方に移り住んだ当初、中央アジアの文化の影響でドームのない四角形の簡素なモスクが多かった。 しかしセルジューク時代を経て、オスマン帝国時代に至るとドームのある豪華なモスクが造られるようになる。
「南南西」MAPLay. 2 k
Alaeddin Keykubad Camii (16:20)
「西北西」MAPLay. 2 l
Alaeddin Keykubad Cami i(16:20)
「北西」MAPLay. 2 l
アラアッディン・カイクバート・ジャーミィ [Alaeddin Keykubad Camii] (16:27)
モスクの奥まったところはメッカの方向を示すミフラーブ [Mihrab] と言われる窪みがある。イスラム教のホジャ [Hoca]*ミフラーブ前に立ち、その後に集まった信者達と一緒にメッカの方を向いて礼拝する。
MAPLay. 2 m

イスラム教の聖典には信徒間の平等が記されており、他の宗教にみられるような聖職者・僧侶階級はいない。 宗教上の指導者 (ホジャ) がいるのみである。
アラアッディン・カイクバート・ジャーミィ [Alaeddin Keykubad Camii] (16:27)
ブルーを基調とした陶器製のタイルで飾られた堂内。  このブルーはトルコ人の人生のお守りの色で、中央アジアに居住していた頃のシャーマン教に由来していると言われている。  シャーマン教の主な崇拝形式は自然崇拝で、特に空や水のブルーが神に近づける色として尊ばれていた。 そのため、ブルーのタイルや、ブルーの絨毯が使われている。 ちなみに、この色の石を身につけてお守りにする ナザル・ボンジュウ (お守り) [Nazar Boncuğu] が有名。
MAPLay. 2 m
アラアッディン・カイクバート・ジャーミィ [Alaeddin Keykubad Camii] (16:27)
モスクの奥まったところはメッカの方向を示すミフラーブ [Mihrab] と言われる窪みがある。イスラム教のホジャ [Hoca]*ミフラーブ前に立ち、その後に集まった信者達と一緒にメッカの方を向いて礼拝する。
MAPLay. 2 m

イスラム教の聖典には信徒間の平等が記されており、他の宗教にみられるような聖職者・僧侶階級はいない。 宗教上の指導者 (ホジャ) がいるのみである。
アラアッディン・カイクバート・ジャーミィ [Alaeddin Keykubad Camii] (16:28)
礼拝の時は、モスクの真ん中は男性用、壁際と二階が女性用として使用される。 右手の黒い階段状の物は、ミンバール [Minber] (説教壇) 。
MAPLay. 2 m
Alaeddin Keykubad Camii(16:30)
MAPLay. 2 m
Alaeddin Keykubad Camii(16:30)
MAPLay. 2 m
アラアッディン・カイクバート・ジャーミィ [Alaeddin Keykubad Camii] (16:30)
モスクの奥まったところはメッカの方向を示すミフラーブ [Mihrab] と言われる窪みがある。イスラム教のホジャ [Hoca]*ミフラーブ前に立ち、その後に集まった信者達と一緒にメッカの方を向いて礼拝する。
MAPLay. 2 m

イスラム教の聖典には信徒間の平等が記されており、他の宗教にみられるような聖職者・僧侶階級はいない。 宗教上の指導者 (ホジャ) がいるのみである。
アラアッディン・カイクバート・ジャーミィ [Alaeddin Keykubad Camii] (16:31)
イスラム教には五つの義務がある。 1.神様は唯一の神でありほかの神は存在しない。 2.毎日5回礼拝すること、日の出、真昼、午後、夕方、夜。  礼拝はモスクに来ることは義務ではなく、金曜日の昼の礼拝と、ラマダン際の礼拝の時だけモスクに来ることが義務になっている。 その他は家でも職場でも礼拝できる。 礼拝用の絨毯がありこれを敷いて礼拝する。 絨毯は奇麗であることが条件。 3.毎年30日間ラマダン中に日の出から日没まで断食すること。 4.年収の40分の1を貧しい人たちに寄付すること。 5.生涯に1度は聖地メッカへ巡礼しなくてはならない。 ちなみに、トルコではイスラム教の戒律はさほど厳しくなく、戒律を守る人は20%と以下だと言われている。
MAPLay. 2 m
アラアッディン・カイクバート・ジャーミィ [Alaeddin Keykubad Camii] (16:31)
トルコ共和国を建国した初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの政教分離政策によって、カリフ制の廃止、神学校の廃止、公の宗教活動の禁止、宗教的衣服も禁止、イエニチェリ軍団の解体など徹底してイスラム教の政治干渉を排したこともあって、トルコでのイスラム教の戒律はさほど厳しくはない。
MAPLay. 2 m
アラアッディン・カイクバート・ジャーミィ [Alaeddin Keykubad Camii] (16:33)
右の高い塔は、ミナーレ [Minare] と言われ、礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔。 礼拝は1日5回行われる。 ちなみに、よく耳にする "ミナレット" [Minaret] はトルコ語の "ミナーレ" [Minare] に由来する西欧諸言語による名称。
「北西」MAPLay. 2 n
インジェ・ミナーレ神学校 [İnce Minare Medresesi] (16:40)
カラタイ神学校と同じ時期に、高官ヒサップ・アタにより建築されたメドレセ (マドラサ) [Medresesi] 「神学校」。 インジェ[İnce] は "細い" を意味し、ミナーレ[Minare] は "ミナレット" を意味する。
「南西」MAPLay. 2 o
インジェ・ミナーレ神学校 [İnce Minare Medresesi] (16:40)
「南西」MAPLay. 2 o
インジェ・ミナーレ神学校 [İnce Minare Medresesi] (16:40)
アラアッディン・モスクの西側にあるこの神学校。 ハーディス(ムハンマドとその教友たちの言行録)を教えるため1254年にセルジューク朝の大臣サヒブ・アタ・ファーレッディン・アリ [Sahip Ata Fahrettin Ali] により創設された。 ケリュック・ビン・アブドラー [Kelük bin Abdullah] が設計し、セルジューク朝の石工芸術の傑作に数えられ、石造りの門の上部には、レリーフ、幾何学模様、植物の文様と共にセルジューク朝の装飾文字で "ヤシン" [Yasin] と "フェティフ" [Fetih] の文字が書かれている。 1956年にインジェ・ミナーレ博物館 [İnce Minare Müzesi] として開館し、セルジューク朝、カラマン候国、オスマン帝国時代作られた石製、木製の工芸品が展示されている。 右手にあるミナレットは1901年に落雷にあい、1番目のテラスのあたりまで崩壊したため、高さは当時の三分の一になっている。
「西南西」MAPLay. 2 o
インジェ・ミナーレ神学校 [İnce Minare Medresesi] (16:40)
「西」MAPLay. 2 o
アラアッディン大通り [Alaaddin Bulvarı](16:44)
「東南東」MAPLay. 2 p
アラアッディン大通り [Alaaddin Bulvarı](16:45)
「南東」MAPLay. 2 p
メブラーナ通り [Mevlana Caddesi](16:46)
「南」MAPLay. 2 q
メブラーナ通り [Mevlana Caddesi](16:47)
「南南東」MAPLay. 2 r

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