旅の栞(トルコ)

6月24日

カッパドキア [Kapadokya](Ⅰ)

2024年5月31日(金)10:00をもちましてURLは下記の通り変更になります。
http://arisada.f5.si/turkey/newpage7.html

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カッパドキア [Kapadokya]
カッパドキアは、何百万年もの昔、3つの火山、エルジイェス、ハサン、ギュルルの噴火によってできた凝灰岩の台地で、標高1000メートルを超えるアナトリア高原中央部に、100km²近くにわたって円錐型、尖頭型、円柱型、キノコ型、帽子をかぶっているように見える形の奇岩が林立している。(“妖精の煙突”)  この不思議な風景は、柔らかい地層 (凝灰岩の層) と硬い地層 (玄武岩の層) が重なり合い、柔らかい地層は雨に打たれ、湖や川、特にクズルウルマック川によって浸食されて現在の姿になった。 3世紀半ばには、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアに移り住み、柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作ったとされているが、カッパドキアのどこからも迫害された記録も証拠も発見されておらず、最近の調査ではヒッタイト民族が洞窟や地下都市を作り、その後、時代に応じて様々に利用されてきたのではないかと考えられている。 内部は、円柱や丸天井、家具調度品 (椅子、テーブル、祭壇など) に至るまで刻み穿たれている。 カッパドキアは「美しい馬の地」を意味するペルシア語のカッパトカ [Katpatuk] に由来し、トルコ語では [Kapadokya] と記される。
リクソス コンヤ [Rixos Konya] からの眺望 (06:25)
「南西」MAPLay. 1 A
リクソス コンヤ [Rixos Konya] からの眺望 (06:26)
「南西」MAPLay. 1 A
リクソス コンヤ [Rixos Konya] のロビー (06:43)
「北東」MAPLay. 1 A
リクソス コンヤ [Rixos Konya] のロビー (06:43)
「北」MAPLay. 1 A
リクソス コンヤ [Rixos Konya] からの眺望 (07:21)
「北西」MAPLay. 1 A
Yeni İstanbul Caddesi からの眺め (08:10)
新イスタンブールストリートからの眺め。
「南西」MAPLay. 1 B
Yeni İstanbul Caddesi からの眺め (08:10)
新イスタンブールストリートからの眺め。
「南西」MAPLay. 1 B
Dr. Sadık Ahmet Caddesi からの眺め (08:11)
博士サディク・アーメド・ストリートからの眺め。
「南東」MAPLay. 1 C
Dr. Sadık Ahmet Caddesi からの眺め (08:13)
博士サディク・アーメド・ストリートからの眺め。
「南南東」MAPLay. 1 D
Aksaray Çevre Yolu Caddesi からの眺め (08:19)
アクサライ環状道路ストリートからの眺め。 この辺りは嘗てのシルクロード(隊商路)で、中国の長安(現在西安)に始まってイスタンブールまで続いていた。 交易品としてラクダの背に載せられて砂漠を越え、オアシスを繋いで運ばれていった物は、絹(シルク)だけではなく、商人たちはシルクロードによって結ばれた国々が産する鉱物、製品、果物などありとあらゆる高価・貴重な物品・珍品を運び、商っていた。 胡麻(ごま)、胡桃(くるみ)、胡椒(こしょう)、胡瓜(きゅうり)、胡弓(こきゅう)、胡楽(こがく) など、名前にある「胡」の字は、西域、すなわち西方から中国にもたらされたものであることを示している。 因みに、この様な平原では、時折、蜃気楼が見られる。 (遠くの建物が水面に浮いたように見える。)
「南南東」MAPLay. 1 E
Konya Aksaray Yolu からの眺め (08:34)
コンヤ、アクサライの道からの眺め。 この辺りは嘗てのシルクロード(隊商路)。 シルクロードは、東西の交易のほか、思想や信仰がそこを通る人たちによって運ばれ、文明が築き上げられた遺跡ともいえる。 実際にラクダにシルクを乗せて運ばれていたのは紀元前2世紀頃から紀元後8世紀頃までで、8世紀頃になると中国から持ってきた蚕を使って、トルコのブルサで良質のシルクが生産できるようになってからシルクの交易は途絶えた。 但し、シルク以外の交易は13,4世紀頃まで続いていた。 ブルサ [Bursa] は、オスマン帝国時代に絹織物産業が盛んになり、現在でもトルコは世界有数の大養蚕地帯で、絹絨毯は特産品になっている。
「南東」MAPLay. 1 F

 シルクロード
Konya Aksaray Yolu からの眺め (08:43)
コンヤ、アクサライの道からの眺め。 この辺りは嘗てのシルクロード(隊商路)。 シルクロードという名前には、実は約130年の歴史しかない。 1877年、ドイツの地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン男爵 [Ferdinand Freiherr von Richthofen] が、中国の絹がインドやイラン、ローマに運ばれた交易路に名づけた ザイデン・シュトラーセン [Seidenstraße] (絹の道) というドイツ語が英訳されて、広く一般に使われるようになってからである。
「南東」MAPLay. 1 G
Konya Aksaray Yolu からの眺め (08:44)
コンヤ、アクサライの道からの眺め。 この辺りは嘗てのシルクロード(隊商路)。 シルク-ロードの命名者であるフェルディナント・フォン・リヒトホーフェン男爵 [Ferdinand Freiherr von Richthofen] は、ドイツの地理学者・探検家で、近代的地形学の分野の創設者とされ、中国の研究を通じて、シルクロードの定義を定めた。
「南東」MAPLay. 1 H
Konya Aksaray Yolu からの眺め (08:44)
コンヤ、アクサライの道からの眺め。 この辺りは嘗てのシルクロード(隊商路)。 8世紀頃シルクの交易は途絶え、シルク以外の交易は13,4世紀頃まで続いていたが、この頃ヨーロッパから十字軍が現れ、隊商を襲い、金品を略奪するようになった。 当時、隊商は経済的に重要な役割 (通行料や税金を納めていた) を果たし、尊敬されていた。 その為、40kmごとに隊商宿が造られ、彼らを保護していた。 当時、略奪を避ける為には、日の出から日没まで、40kmの道のりを移動する必要があった。 (因みに、40kmは計算された距離で、日の出から日没まで人が歩ける距離に相当する。)
「南東」MAPLay. 1 I
Konya Aksaray Yolu からの眺め (09:20)
コンヤ、アクサライの道からの眺め。
「南東」MAPLay. 1 J
Konya Aksaray Yolu からの眺め (09:20)
コンヤ、アクサライの道からの眺め。
「南東」MAPLay. 1 K
スルタンハヌ・キャラバン・サライ [Sultanhanı Kervansaray] (09:21)
トルコ語で ケルヴァン・サライ (隊商の宮殿) と呼ばれる宿泊施設は、交易路沿いに一定間隔で設けられ、隊商や旅人に無料の宿として提供されていた。 キャラバン・サライは、通例、中庭をもつ方形の建物で、中庭をめぐる張り出し屋根の下で、旅人が休めるようになっていた。
「南西」MAPLay. 1 L
Sultan Cafe Restaurant (09:28)
スルタンハヌ・キャラバン・サライ [Sultanhanı Kervansaray] 前にあるレストラン&ショップ。
「南南東」MAPLay. 1 M
スルタンハヌ・キャラバン・サライ [Sultanhanı Kervansaray] (09:29)
スルタン (アラーウッディーン・カイクバード1世) の命により、スルタン自身の資金で建設 (1229) された為、「スルタンのキャラバン・サライ」の意味で呼称れている。 また、このスルタンハヌ [Sultanhanı] の呼称は町の名としても使われている。 この町はトルコの代表的観光地でユネスコ世界自然遺産のパムッカレとカッパドキアとを結ぶ街道上にあり、かつて、この建物はシルクロードの隊商宿として使用されていた。 この様な宿は、シルクロード沿に40kmごと建っていたが、現在では殆ど残っておらず、この宿は一番大きな宿として残されている。
「南南西」MAPLay. 1 N
スルタンハヌ・キャラバン・サライ (09:30)
「南南西」MAPLay. 1 O
Sultanhanı Kervansaray (09:31)
「西」MAPLay. 1 P
スルタンハヌ・キャラバン・サライ [Sultanhanı Kervansaray] 前の広場 (09:31)
「北」MAPLay. 1 Q

 シルクロード
Sultanhanı Kervansaray 前の広場 (09:32)
「北」MAPLay. 1 R
スルタンハヌ・キャラバン・サライ (09:32)
「北西」MAPLay. 1 S
Sultan Cafe Restaurant (09:34)
スルタンハヌ・キャラバン・サライ [Sultanhanı Kervansaray] 前にあるレストラン&ショップ。
「北」MAPLay. 1 T
Aksaray-Nevşehir Yolu からの眺め (10:26)
「南」MAPLay. 1 U
Aksaray-Nevşehir Yolu からの眺め (10:35)
「南南東」MAPLay. 1 V
Aksaray-Nevşehir Yolu からの眺め (10:41)
「南東」MAPLay. 1 W
Aksaray-Nevşehir Yolu からの眺め (10:42)
「南東」MAPLay. 1 X
Aksaray-Nevşehir Yolu からの眺め (10:43)
「南東」MAPLay. 1 Y
Aksaray-Nevşehir Yolu からの眺め (10:47)
「南南東」MAPLay. 1 Z
Aksaray-Nevşehir Yolu からの眺め (10:47)
「南南東」MAPLay. 1 a

 シルクロード
Zübeyde Hanım Caddesi からの眺め (11:17)
ここはネウシェヒル[Nevşehir] の町で、この辺りは最近出来た新市街。
「東南東」MAPLay. 1 b
Zübeyde Hanım Caddesi からの眺め (11:19)
ここはネウシェヒル[Nevşehir] の町で、この辺りは最近出来た新市街。
「東」MAPLay. 1 c
Zübeyde Hanım Caddesi からの眺め (11:20)
ここはネウシェヒル[Nevşehir] の町で、この辺りは最近出来た新市街。
「東」MAPLay. 1 d
Zübeyde Hanım Caddesi からの眺め (11:21)
ここはネウシェヒル[Nevşehir] の町で、この辺りは最近出来た新市街。
「北東」MAPLay. 1 e
Kayseri Nevşehir Yolu からの眺め (11:25)
この辺りから、カッパドキアに入っていく。
「北東」MAPLay. 1 f
Kayseri Nevşehir Yolu からの眺め (11:27)
カッパドキアは「美しい馬の地」を意味するペルシア語のカッパトカ [Katpatuk] に由来し、トルコ語では [Kapadokya] と記される。
「東南東」MAPLay. 1 g
Kayseri Nevşehir Yolu からの眺め (11:27)
「東」MAPLay. 1 h
Kayseri Nevşehir Yolu からの眺め (11:28)
「東」MAPLay. 1 i
Kayseri Nevşehir Yolu からの眺め (11:28)
「北東」MAPLay. 1 j
Batı Çevre Yolu からの眺め (11:29)
「東北東」MAPLay. 1 k
Batı Çevre Yolu からの眺め (11:29)
「北東」MAPLay. 1 l
Dereyamanlı Cd. からの眺め (11:30)
この辺りはアバノス [Avanos] の町。
「東」MAPLay. 1 m
Kızılırmak Caddesi からの眺め (11:31)
この辺りはアバノス [Avanos] の町。
「東」MAPLay. 1 n
ボラ洞窟レストラン [Bora Underground Restaurant] (11:34)
レストランは右手の方向で、白い帽子の女性が向かっている方向が入口。
「西南西」MAPLay. 2 A
Bora Underground Restaurant (11:36)
MAPLay. 2 B
Bora Underground Restaurant (11:36)
MAPLay. 2 B
Bora Underground Restaurant (11:38)
MAPLay. 2 B
Bora Underground Restaurant (11:41)
MAPLay. 2 B
Bora Underground Restaurant (11:48)
MAPLay. 2 B
Bora Underground Restaurant (11:59)
MAPLay. 2 B
ボラ洞窟レストラン [Bora Underground Restaurant] (12:16)
白い帽子の女性が立っている所が、出入り口。
「北北西」MAPLay. 2 C
ボラ洞窟レストラン [Bora Underground Restaurant] (12:16)
レストラン前にはスーベニア・ショップがある。
「北北西」MAPLay. 2 D
ボラ洞窟レストラン [Bora Underground Restaurant] (12:30)
正面の岩山の下にレストランがあり、入口は写真の左端の奥まったところにある。
「西」MAPLay. 2 E
レストラン前の広場 (12:30)
「南西」MAPLay. 2 F
レストラン前の広場 (12:31)
「西南西」MAPLay. 2 G
レストラン前の広場からの眺め (12:31)
「南東」MAPLay. 2 H
レストラン前の広場からの眺め (12:31)
左手に見える町は、アバノス [Avanos] の町。
「東」MAPLay. 2 H
Göreme Yolu からの眺め (12:49)
「西南西」MAPLay. 2 I
Göreme Yolu からの眺め (12:52)
「西北西」MAPLay. 2 J
Göreme Yolu からの眺め (12:52)
「北西」MAPLay. 2 K
Göreme Yolu からの眺め (12:53)
「東」MAPLay. 2 L
Göreme Yolu からの眺め (12:53)
「東」MAPLay. 2 M
Göreme Yolu からの眺め (12:54)
「南」MAPLay. 2 N
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] の駐車場 (12:59)
「北北西」MAPLay. 2 O
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] の駐車場 (13:00)
「北」MAPLay. 2 P
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:00)
入口を入ったところには、護衛がいる。
「南」MAPLay. 2 Q
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:00)
公園内部から入口方向を見たところ。
「北東」MAPLay. 2 R
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:01)
テント張りの個所は入場ゲート。 ギョレメ野外博物館は、偉大なる聖バジルと彼の兄弟たちによる“キリスト教のあらゆる思想を統合した教育制度”が生まれた場所。 かつて、ここには365もの教会があって、多くの人々がイエスキリストや、キリスト教の思想、戒律について学んでいた。 1年ほどかけて学んだ後、各地へ出かけ、または故郷に帰り、布教活動を行う者もいた。 、教会内部には教室や寝室、食堂などが備わっていて、合わせて三、四百人が住んでいた。 因みに、カッパドキア全体では五、六千人いたと言われている。
「北東」MAPLay. 2 S
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:02)
カッパドキアは、その立地条件から確固たる重要な意味を持つ拠点とされてきた。 かの有名なシルクロードを含む重要な通商ルートが東西南北に走る交通の要衝であったため、歴史的・文化的な影響がクモの巣状に複雑に絡み合い、この地は異なる宗教や思想が出会い、相互に影響しあう場所となっていた。
「南西」MAPLay. 2 T
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:02)
「南南西」MAPLay. 2 U
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:03)
「西北西」MAPLay. 2 V
リンゴ教会 [Apple kilise/Elmali kilise] (13:06)
中央やや右の凹んだところが、リンゴ教会の入口。 入口の前にリンゴの木があったことから、この名が付いた。 (内部は撮影禁止のため写真はありません。)
「西南西」MAPLay. 2 W
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:08)
リンゴ教会 [Apple kilise/Elmali kilise] の入口から岩山のトンネルを通り抜けたところがこの位置で、前方の岩窟には鳩の糞を肥料として利用するため、多くの鳩が飼われていた。 この肥料の多くは、ワイン作りのためのブドウ栽培に用いられていた。 リンゴ教会 [Apple kilise/Elmali kilise] の入口を背にして撮影。
「南西」MAPLay. 2 X
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:08)
前方の岩窟には鳩の糞を肥料として利用するため、多くの鳩が飼われていた。 この肥料の多くは、ワイン作りのためのブドウ栽培に用いられていた。 この左手に、リンゴ教会 [Apple kilise/Elmali kilise] の入口がある。
「南」MAPLay. 2 X
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:08)
本当のリンゴ教会 [Apple kilise] の入口は、岩山のトンネルを通り抜け出た所の反対側の岩壁にある。 この写真は岩山のトンネルを通り抜け出た所で、この左手にリンゴ教会の入口がある。 内部のフレスコ画は顔料染めと草木染めによって描かれているため、当時 (9世紀) のままの鮮やかさを残している。 ギョレメで最も保存状態の良い教会である。 (内部は撮影禁止のため写真はありません。)
「南東」MAPLay. 2 Y
ギョレメ野外博物館 (13:09)
「北東」MAPLay. 2 Z
ギョレメ野外博物館 (13:16)
リンゴ教会を後にして、聖バルバラ教会へ向かう。
「南東」MAPLay. 2 Z
聖バルバラ教会 [Aziz Barbara Kilisesi] (13:20)
この教会のフレスコ画の特徴は、立派なフレスコ画がある一方、子供が描いたような、一見稚拙とも思えるフレスコ画もある。 これは、キリスト教の初期段階では多神教の影響があり、フレスコ画や、聖人像、キリスト像などを崇拝する人が多かったためで、たとえば、目の見えない人はイエスキリストの目を削って水に溶かし飲むなどの狂信的な行為が常態化していた。 そのためフレスコ画や像などの修復はされなくなり、それに変わって抽象的なフレスコ画で描かれるようになったと言われている。 たとえば十字架はイエスキリストを表し、まわりの椰子の木は天使を表している。 虫のように見えるのは、悪魔を表し、左右に悪と善の十字架があり、その上には平和を象徴する雄鶏がいて、悪魔を取り囲んでいる様子が描かれている。 また3匹の亀が描かれており、その上の真ん中にいるのがイエスキリストで、その右は聖ヨハネ、左は聖母マリアを表しており、洗礼されずに地獄に落ちた者を救うように両者がイエスに懇願しているところを表していると言われている。 (撮影禁止のため写真はありません。)  画像の参考サイト
「北」MAPLay. 2 a
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:20)
「東」MAPLay. 2 b
蛇教会 [Yılanlı Kilise] (13:21)
① 馬に乗って、悪魔の象徴である大蛇 (実はドラゴン) と戦う聖ジョージ [St. George] (聖ゲオルギウス) と聖テオドール [Aziz Theodor] を描いたフレスコ画があり、教会の名の由来になっている。 このフレスコ画は聖書に記されているアダムとイブの話に出てくる蛇を暗示している。 「旧約聖書では、イブを騙し、罪の林檎を食べさせたのは蛇であるといわれるのを始め、蛇は呪われた動物であり「狡猾さのシンボル」として聖書の中で一貫して憎まれている。」 その他、② コンスタンティヌス大帝と彼の母親セントヘレナのフレスコ画がある。 コンスタンティヌス大帝で有名なの313年のミラノ勅令でキリスト教を公認したことである。 当時、多神教とキリスト教が混在してた時代で、キリスト教徒は迫害を受けていた。  コンスタンティヌスは国内の安定を図るため、313年にキリスト教に対して信教の自由を保障した。 彼が大事にしていた母親セントヘレナもキリスト教徒であった事から、フレスコ画には二人の像が描かれている。  二人の間にある十字架はイエスが磔にされた本物の十字架を模写したものだと言われている。 ③ 入口を入った正面にイエスキリストのフレスコ画があり、イエスキリストの隣に小さく描かれているのは、この教会を造らせた人。 ④ 入口を入った右手には3人の聖人像があって、向かって右は 聖バジル [St.Basil] 、真ん中は 聖トマス [St.Thomas] 、左は両性具有の 聖オヌフィリス [St.Onuphrius] が描かれている。 右のバジルはキリスト教の伝道者で、カッパドキアにキリスト教を広めた功労者。 真ん中のトマスはカッパドキア出身の聖人。 左のオヌフィリスは女性のような身体で、口髭と顎髭を生やした聖人。 晩年、エジプトの砂漠で隠者の生活をおくっていた。 この教会は11世紀に造られた、低い天井と長い身廊を持つ単純なバレルアーチ型 (蒲鉾形) の教会。 教会内の見取り図
「南」MAPLay. 2 c
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:22)
写真の中央に、列を成してこちらに向かっている人たちの右手に、リンゴ教会 [Apple kilise] があり、その右上の木立の向こうに、聖バルバラ教会 [Aziz Barbara Kilisesi] がある。
「北」MAPLay. 2 d
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:27)
紀元後になると、クリスチャンの集団がローマ帝国による迫害から逃れて人を寄せつけない原野カッパドキアに移住してきた。 ある集団は、2世紀にエルサレムからアンティオケ(アンタキヤ)とカエサレア(カイセリ)を経由してこの地にたどり着き、現在デリンクユと呼ばれている地方に定住した。 火山作用でできた柔らかい凝灰岩が削りやすいことに気付き、彼らはまず天然の洞窟を広げて、いくつかの洞窟をつなぎあわせ、住居だけでなく礼拝堂や教会、完全な修道院も彫り上げ、彼らが必至に探し求めてきた平和と安心を、その手で、心血を注ぎ込んで形にしていった。
「東」MAPLay. 2 e
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:27)
「南東」MAPLay. 2 f
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:27)
中央やや左手の、木立の後ろにある白い岩山が、リンゴ教会 [Apple kilise] 。 右手の高い岩山は、かつて女子修道院 [Kızlar Manastırı] があったところ。
「北」MAPLay. 2 g
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:28)
右手の、一際白いなだらかな岩山が、聖バルバラ教会 [Aziz Barbara Kilisesi] 。
「西」MAPLay. 2 h
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:28)
左手の、一際白いなだらかな岩山が、聖バルバラ教会 [Aziz Barbara Kilisesi] 。
「北西」MAPLay. 2 h
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:29)
右の出入り口は、調理場があったところ、左の出入り口は食堂のあったところで、40人ほどの偉い人たち用のダイニングテーブルがあった。 この出入り口の上 (2階以上) には幾つかの部屋があって、教会として使用されていた。
「南東」MAPLay. 2 i
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:29)
4世紀頃にローマ帝国の弾圧を逃れてやってきたキリスト教徒たちが柔らかい岩くり抜いて作った岩窟教会が多く集中している。  右下の岩窟は、調理場と食堂、その上方の岩窟は教会の施設として使用されていた。
「南東」MAPLay. 2 i
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:31)
中央やや左の一際白いなだらかな岩山が、聖バルバラ教会 [Aziz Barbara Kilisesi] 。 その右下にリンゴ教会 [Apple kilise/Elmali kilise] がある。
「西」MAPLay. 2 j
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:31)
右手は暗闇の教会 [Karanlik Kilise (Dark Church)] 。 "暗闇の教会" と名付けられているように、この教会内部には光が殆ど入らず、そのため、世界で最も保存状態の良いフレスコ画が残されている。
「西北西」MAPLay. 2 j
ギョレメ野外博物館 (13:32)
右手は暗闇の教会 [Karanlık Kilise] の入口。
「西」MAPLay. 2 l
ギョレメ野外博物館 (13:32)
暗闇の教会 [Karanlik Kilise (Dark Church)]。
「北東」MAPLay. 2 k
ギョレメ野外博物館 (13:34)
岩窟教会内部の部屋。
MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 (13:34)
岩窟教会内部の部屋。
MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 (13:35)
岩窟教会内部の部屋。
MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 (13:35)
岩窟教会内部の部屋。
MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 (13:36)
岩窟教会内部の部屋。
「北西」MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 (13:36)
岩窟教会内部の部屋。
MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 (13:36)
岩窟教会内部の部屋。
「西」MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 (13:36)
岩窟教会内部の部屋。
MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 (13:36)
岩窟教会内部の部屋。
「西」MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 (13:37)
岩窟教会内から見るカッパドキア。
「北西」MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:38)
岩窟教会内から見るカッパドキア。
「北西」MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:40)
岩窟教会内から見るカッパドキア。
「西」MAPLay. 2 m
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:40)
岩窟教会の入口付近からの眺望。
「北西」MAPLay. 2 n
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:40)
岩窟教会の入口付近からの眺望。
「北西」MAPLay. 2 n
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:40)
岩窟教会の入口付近からの眺望。
「北西」MAPLay. 2 n
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:42)
ギョレメ国立公園 [Göreme Milli Parklar] は、1985年にユネスコの世界遺産に登録されている。
「西北西」MAPLay. 2 o
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:43)
中央にある岩山には、かつて女子修道院 [Kızlar Manastırı] であった。
「北」MAPLay. 2 p
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:43)
左端は"暗闇の教会"。 この教会内部には光が殆ど入らず、そのため、世界で最も保存状態の良いフレスコ画が残されている。 右手の岩窟は、他の教会施設があったところ。
「東」MAPLay. 2 q
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] (13:43)
カッパドキアには、1,000 以上もの教会や礼拝堂があると言われている。 これらの教会の中には宗教建築一式、つまり、一列、二列あるいは三列になった身廊、十字型の設計、前面のホール、側廊、後陣、ドーム、円柱、支柱などたくさんの要素から構成されるバシリカ教会があり、それらはすべて、岩をくりぬいて作られている。 また、教会の多くは丹念に描かれたフレスコ画 (聖書から抜粋されたイエスキリストの人生や戒律をモチーフにしている。) で飾られ、芸術のみで無く、字の読めない人のためのプレゼンテーションとしての役割も果たしていた。
「東」MAPLay. 2 q
女子修道院 [Kızlar Manastırı] (13:44)
中央にある岩山には、かつて女子修道院 [Kızlar Manastırı] であった。
「北」MAPLay. 2 r
ギョレメ野外博物館 [Göreme Açık Hava Müzesi] の駐車場 (13:55)
「東北東」MAPLay. 2 s
ミュージアムストリート [Müze Caddesi] からの眺め (13:59)
「北」MAPLay. 2 t
ミュージアムストリート [Müze Caddesi] からの眺め (13:59)
「北」MAPLay. 3 A
ミュージアムストリート [Müze Caddesi] からの眺め (13:59)
「北」MAPLay. 3 B
ミュージアムストリート [Müze Caddesi] からの眺め (14:00)
「北」MAPLay. 3 C
Göreme - Uçhisar Yolu を左折し Göreme Vadi Gizli Bahçe へ向かう途中 (14:02)
「南」MAPLay. 3 D
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:04)
「南東」MAPLay. 3 E
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:04)
「東」MAPLay. 3 E
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:04)
遠方に見えるの台地は、夕焼けでピンク色に染まることから ローズ・バレー [Rose Valley / Güllüdere Vadisi] と呼ばれている。
「北東」MAPLay. 3 E
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:04)
「東」MAPLay. 3 F
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:04)
遠方に見えるの台地は、夕焼けでピンク色に染まることから ローズ・バレー [Rose Valley / Güllüdere Vadisi] と呼ばれている。
「北東」MAPLay. 3 F
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:05)
「南東」MAPLay. 3 G
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:05)
遠方に見えるの台地は、夕焼けでピンク色に染まることから ローズ・バレー [Rose Valley / Güllüdere Vadisi] と呼ばれている。
「北東」MAPLay. 3 G
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:05)
遠方に見えるの台地は、夕焼けでピンク色に染まることから ローズ・バレー [Rose Valley / Güllüdere Vadisi] と呼ばれている。
「北」MAPLay. 3 H
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:05)
「南」MAPLay. 3 I
ギョレメの谷を望む秘密の庭 (14:06)
「東」MAPLay. 3 J
ギョレメの谷を望む秘密の庭 (14:06)
「東」MAPLay. 3 J
ギョレメの谷を望む秘密の庭 (14:06)
「東」MAPLay. 3 K
ギョレメの谷を望む秘密の庭 (14:07)
「北北西」MAPLay. 3 L
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:07)
「東」MAPLay. 3 M
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:07)
「南」MAPLay. 3 N
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:07)
「東」MAPLay. 3 N
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:07)
遠方に見えるの台地は、夕焼けでピンク色に染まることから ローズ・バレー [Rose Valley / Güllüdere Vadisi] と呼ばれている。
「北」MAPLay. 3 N
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:08)
「南」MAPLay. 3 O
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:08)
「東」MAPLay. 3 P
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:08)
「東」MAPLay. 3 Q
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:08)
「北」MAPLay. 3 R
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:08)
遠方に見えるの台地は、夕焼けでピンク色に染まることから ローズ・バレー [Rose Valley / Güllüdere Vadisi] と呼ばれている。
「北東」MAPLay. 3 S
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:08)
「南東」MAPLay. 3 S
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:08)
「東」MAPLay. 3 S
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:08)
「北」MAPLay. 3 S
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:08)
「北西」MAPLay. 3 T
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:09)
「東北東」MAPLay. 3 U
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:09)
「南」MAPLay. 3 V
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:10)
「東南東」MAPLay. 3 W
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:10)
遠方に見えるの台地は、夕焼けでピンク色に染まることから ローズ・バレー [Rose Valley / Güllüdere Vadisi] と呼ばれている。
「北東」MAPLay. 3 W
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:11)
「北」MAPLay. 3 X
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:11)
遠方に見えるの台地は、夕焼けでピンク色に染まることから ローズ・バレー [Rose Valley / Güllüdere Vadisi] と呼ばれている。
「北東」MAPLay. 3 Y
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:11)
「東南東」MAPLay. 3 Y
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:11)
「南」MAPLay. 3 Z
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:11)
中央やや右の地平線上に見える岩山は、ウチヒサール [Uçhisar] 。
「南南西」MAPLay. 3 Z
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:11)
「南東」MAPLay. 3 Z
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:12)
「東南東」MAPLay. 3 Z
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:12)
遠方に見えるの台地は、夕焼けでピンク色に染まることから ローズ・バレー [Rose Valley / Güllüdere Vadisi] と呼ばれている。
「東北東」MAPLay. 3 Z
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:12)
中央やや左の地平線上に見える岩山は、ウチヒサール [Uçhisar] 。
「南西」MAPLay. 3 a
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:12)
「南」MAPLay. 3 b
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] からの眺望 (14:12)
「東」MAPLay. 3 c
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:15)
「南東」MAPLay. 3 d
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:16)
「南東」MAPLay. 3 e
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:16)
「南南東」MAPLay. 3 f
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:18)
遠方に見えるの台地は、夕焼けでピンク色に染まることから ローズ・バレー [Rose Valley / Güllüdere Vadisi] と呼ばれている。
「東北東」MAPLay. 3 g
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:18)
「南東」MAPLay. 3 h
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:18)
「南東」MAPLay. 3 i
ギョレメの谷を望む秘密の庭 [Göreme Vadi Gizli Bahçe] (14:19)
「北東」MAPLay. 3 j
ギョレメ - ウチヒサールの道 [Göreme - Uçhisar Yolu] からの眺め (14:23)
「南」MAPLay. 3 k
ギョレメ - ウチヒサールの道 [Göreme - Uçhisar Yolu] からの眺め (14:24)
「南西」MAPLay. 3 l
Adnan Kahveci Cd. からの眺め (14:24)
これから向かうのは、カッパドキアの一般家庭の訪問。 但し、お住まいは、カッパドキアでは一般的と言えるかどうか、 岩山をくり抜いた住居にお住まいのお宅です。
「南西」MAPLay. 3 m
途中で見かけた岩山をくり抜いた建物 (14:27)
「北西」MAPLay. 3 n
これから、中央に見える岩山に造られた住居に伺います (14:27)
「南西」MAPLay. 3 o
途中で見かけた岩山をくり抜いた建物 (14:27)
「北西」MAPLay. 3 p
桑の木 [Dut ağacı] (14:29)
これは、訪問途中、庭先にあった桑の木だが、養蚕に使われる桑と違って樹形が高い。 桑は自然状態では大木になるが,日本の養蚕では、"刈り桑" (かりくわ) と言われる栽培方法で育てた樹形の低い桑を使っている。 "刈り桑" (低木仕立の桑) は、良質で多量の桑葉を収穫する目的で行われ、樹形を低く整えることで、桑葉の収穫や管理作業を容易にしている。
「東北東」MAPLay. 3 q
桑の実 [Dut ağacı] (14:29)
落下した桑の実。
MAPLay. 3 r
桑の木 [Dut ağacı] (14:30)
トルコの絨毯で最高級とされているのは、絹で織られた絨毯で、養蚕に必要な桑は、地元の人にとってはシンボリックな存在なのかもしれない。 実は、これから訪問する家庭でも絨毯は織られている。
MAPLay. 3 s
前方のお宅が訪問宅 (14:30)
「南南西」MAPLay. 3 t
前方のお宅が訪問宅 (14:30)
「南南西」MAPLay. 3 u
前方のお宅が訪問宅 (14:31)
「南」MAPLay. 3 v
訪問宅のお庭 (14:32)
「南南東」MAPLay. 3 w
訪問宅のお庭から見たギョレメの谷 (14:32)
「北東」MAPLay. 3 x
訪問宅のお庭から見たギョレメの谷 (14:32)
「北東」MAPLay. 3 x
訪問宅のお庭から見たギョレメの谷 (14:32)
「東」MAPLay. 4 A
訪問宅で絨毯についての説明を受ける (14:48)
室内は岩のおかげで、大変涼しい。 ここにある全ての絨毯 (使用中のものも含め) は、この家庭で織られたもので、ウールや絹で緻密 (丈夫) に織られているため、後に売却することも出来る。 絨毯の善し悪しは裏面を見れば大凡の事が分かると言われ、これは表と裏の柄が同じであれば、あるほど緻密に織られている事の証しになる。
MAPLay. 4 B
この御家庭にある絨毯の織機 (14:53)
この織機で実演と説明があり、その中のダブル・ノット と シングル・ノットの違いについての説明で、疑問を感じたため調べてみました。  その結果、"ペルシャ絨毯の基礎知識" での説明が正論だと考えます。
MAPLay. 4 B
訪問宅で絨毯についての説明を受ける (15:00)
この絨毯は、ヘレケ [HEREKE] の名が入っている。 トルコ絨毯で名品と言われているのは、このヘレケ [HEREKE] とチナル [CINAR] である。 イスタンブールの近くにヘレケと言う場所があり、昔は宮殿のためだけに絨毯を作っていたが、トルコ共和国になってからは、ヘレケでの絨毯作りは衰退してしまった。 その後、絨毯を作っていたカッパドキアでヘレケの絨毯が作られるようになった。 カッパドキアでは、かつてから絨毯作りが行われていたため、ヘレケの伝統的な柄や難しい緻密な作業をこなすことの出来る女性が多くいた。 最近は後を継ぐ若い女性がいなくなっているため、この地方では半官半民の組織が作られ、伝統を守るための努力が続けられている。 因みに、この地方での収入は 四、五万円/月で、絨毯の価値は仕上がりまでの月数 (価格=5,6万×月数) で決められている。 しかし、この期間と言うのは、絨毯の目 (ノット) の数から逆算されるため、結局は絨毯の織り目 (ノット) の数に比例することになる。
MAPLay. 4 B
訪問を終えた訪問宅前 (15:13)
「北西」MAPLay. 4 C
屋外に作られたベッド・ルーム (15:18)
お昼寝用のベッド?
「東北東」MAPLay. 4 D
屋外に作られたベッド・ルーム脇の景色 (15:18)
「北東」MAPLay. 4 D
訪問宅を後に次の行程へ (15:21)
中央に見える白いテント張りの屋根が、屋外ベッド・ルーム。
「南南西」MAPLay. 4 E
訪問宅を後に次の行程へ (15:23)
「南」MAPLay. 4 F
訪問宅を後に次の行程へ (15:24)
「東北東」MAPLay. 4 G
訪問を終え、ここから再びバスに乗る (15:24)
「南東」MAPLay. 4 H
Adnan Menderes Caddesi (15:30)
「南東」MAPLay. 4 I
ウチヒサール [Uçhisar] (15:38)
ウチヒサール [Uçhisar] は尖った城塞を意味する。
「南東」MAPLay. 4 J
ウチヒサール [Uçhisar] (15:38)
ビザンチン帝国時代には多くのキリスト教徒が城塞として利用し、見晴らしの良さから重要な軍事拠点であった。
「南東」MAPLay. 4 K
ウチヒサール [Uçhisar] (15:40)
「南東」MAPLay. 4 L
ウチヒサール [Uçhisar] (15:40)
トルコ語で「尖った砦」を意味し、村の中央にそびえる岩山は、古くから要塞として利用された。 岩山には「鳩の家」と呼ばれる無数の小さい穴があり、ぶどう畑の肥料に使うハトの糞 (ふん) が集められた。
「南東」MAPLay. 4 M
ウチヒサール [Uçhisar] (15:40)
左手の道路は Göreme - Uçhisar Yolu 。
「南東」MAPLay. 4 N
ウチヒサール [Uçhisar] (15:40)
「南東」MAPLay. 4 O
ウチヒサール [Uçhisar] (15:41)
左手の道路は Göreme - Uçhisar Yolu 。
「南東」MAPLay. 4 P
ウチヒサール [Uçhisar] (15:41)
「東北東」MAPLay. 4 Q
ウチヒサール [Uçhisar] (15:41)
前方の道路は Göreme - Uçhisar Yolu 。
「南東」MAPLay. 4 R
鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] (15:49)
"Adnan Menderes Caddesi" 脇の展望台からの眺め。 左手に見える尖った岩山は、先ほど訪れたウチヒサール [Uçhisar] 。 右手の谷は、鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] と呼ばれている。
「北」MAPLay. 4 S
鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] (15:50)
"Adnan Menderes Caddesi" 脇の展望台からの眺め。 左手に見える尖った岩山は、先ほど訪れたウチヒサール [Uçhisar] 。
「北」MAPLay. 4 T
鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] (15:50)
"Adnan Menderes Caddesi" 脇の展望台からの眺め。 この辺りは、ぶどう畑の肥料に使うハトの糞 を集めるため、多くの鳩が飼われていたところで、岩山には多くの巣穴がある。
「東」MAPLay. 4 U
鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] (15:50)
"Adnan Menderes Caddesi" 脇の展望台からの眺め。 中央やや左の尖った岩山は、先ほど訪れたウチヒサール [Uçhisar] 。
「北」MAPLay. 4 V
鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] (15:50)
"Adnan Menderes Caddesi" 脇の展望台からの眺め。
「北東」MAPLay. 4 W
鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] (15:51)
"Adnan Menderes Caddesi" 脇の展望台からの眺め。 右手には "Güvercinlik Vadisi / Pigeon Vallet / ← 4000m" と記されたトレッキング案内の立て札が立っている。 また、左の木の枝には、沢山の ナザルボンジュウ [Nazar boncuğu] が掛けられている。
「北東」MAPLay. 4 X
鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] (15:51)
"Adnan Menderes Caddesi" 脇の展望台からの眺め。
「北」MAPLay. 4 Y
鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] (15:51)
"Adnan Menderes Caddesi" 脇の展望台からの眺め。
「北」MAPLay. 4 Z
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:05)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「東」MAPLay. 4 a
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:06)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「南東」MAPLay. 4 b
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:06)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「東」MAPLay. 4 c
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:06)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」の周辺。
「北」MAPLay. 4 d
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:06)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」の周辺。
「北北西」MAPLay. 4 d
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:06)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「東」MAPLay. 4 e
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:07)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「東」MAPLay. 4 e
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:07)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「北東」MAPLay. 4 f
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:07)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」の周辺。
「北西」MAPLay. 4 g
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:07)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「北」MAPLay. 4 g
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:08)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「北東」MAPLay. 4 h
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:08)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「北西」MAPLay. 4 i
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:08)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「北東」MAPLay. 4 i
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:09)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」の周辺。 右手に見える遠方の町は、今夜の宿泊地 ユルギュップ [Ürgüp] 。
「東」MAPLay. 4 i
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:09)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」の周辺。 中央やや左に見える遠方の町は、今夜の宿泊地 ユルギュップ [Ürgüp] 。
「東南東」MAPLay. 4 j
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:10)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」の周辺。 中央やや左に見える遠方の町は、今夜の宿泊地 ユルギュップ [Ürgüp] 。
「東南東」MAPLay. 4 k
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:10)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「北」MAPLay. 4 l
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:11)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「北」MAPLay. 4 m
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:11)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」の周辺。
「北西」MAPLay. 4 n
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:11)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「北北東」MAPLay. 4 o
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:13)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「南東」MAPLay. 4 p
三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] (16:13)
3人の美女に例えられるエセン・テペ [Esen Tepe] にある「3姉妹の岩」。 これは、最上部の岩は硬く、周囲の岩が柔らかいため、周囲の岩が雨によって削られ、硬い岩の下だけが残った状態で、現在でも浸食は続いている。 この辺りの地形は、火山噴火によって出来たもので、火山灰は堆積して柔らかい凝灰岩になり、その上に硬い玄武岩などが乗っかると、その下だけを残して浸食されるため、この様な奇岩が出来上がる。
「南東」MAPLay. 4 q
Nevşehir Ürgüp Yolu (16:14)
この道路の突き当たりの左道端に、「3姉妹の岩」がある。 これから今夜の宿泊地 ユルギュップ [Ürgüp] へ向かう。
「南東」MAPLay. 4 r
洞窟ホテルに向かう途中の風景 (16:19)
今夜の宿泊地 ユルギュップ [Ürgüp] へ向かう Ahmet Taner Kışlalı Caddesi からの眺め。
「東」MAPLay. 4 s
洞窟ホテルに向かう途中の風景 (16:20)
今夜の宿泊地 ユルギュップ [Ürgüp] へ向かう Ahmet Taner Kışlalı Caddesi からの眺め。
「南東」MAPLay. 4 t
洞窟ホテルに向かう途中の風景 (16:20)
今夜の宿泊地 ユルギュップ [Ürgüp] へ向かう Ahmet Taner Kışlalı Caddesi からの眺め。 前方に横たわる岩山の左端の向こうが目的地。
「南」MAPLay. 4 u
洞窟ホテル・テメンニ エヴィ [Temenni Evi Hotel] に向かう途中の風景 (16:22)
Şehit Cem Bul Caddesi からの眺め。 この岩山の向こう側にホテルがある。
「南西」MAPLay. 4 v
ここでバスを降り、洞窟ホテル・テメンニ エヴィ [Temenni Evi Hotel] へ向かう (16:25)
「北」MAPLay. 4 w
徒歩で洞窟ホテル・テメンニ エヴィ [Temenni Evi Hotel] へ向かう (16:27)
「北」MAPLay. 4 x
徒歩で洞洞窟ホテル・テメンニ エヴィ [Temenni Evi Hotel] へ向かう (16:27)
「西」MAPLay. 4 y
徒歩で洞窟ホテル・テメンニ エヴィ [Temenni Evi Hotel] へ向かう途中の風景 (16:27)
「南西」MAPLay. 4 y
洞窟ホテル・テメンニ エヴィ [Temenni Evi Hotel] のロビー (16:27)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。
「東」MAPLay. 5 A
洞窟ホテル・テメンニ エヴィ [Temenni Evi Hotel] の客室 (16:30)
部屋内部の写真は下部に掲載。 客室の上部に見える柵は、屋上への通路で、屋上の大半は岩山になっている。
「東」MAPLay. 5 B
Temenni Evi Hotel の客室内部 (16:42)
「東」MAPLay. 5 C
Temenni Evi Hotel の客室内部 (16:43)
「東」MAPLay. 5 C
Temenni Evi Hotel の客室内部 (16:43)
「東」MAPLay. 5 C
Temenni Evi Hotel の客室内部 (16:43)
「西」MAPLay. 5 C
洞窟ホテル・テメンニ エヴィ [Temenni Evi Hotel] (16:50)
ここは、洞窟ホテルの屋上。 当然ながら洞窟ホテルの屋上は岩山。
「北」MAPLay. 5 D
洞窟ホテル・テメンニ エヴィ [Temenni Evi Hotel] (16:50)
屋上からホテルへの入口。
「西南西」MAPLay. 5 D
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:51)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「南東」MAPLay. 5 D
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:51)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「東」MAPLay. 5 D
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:51)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「北東」MAPLay. 5 D
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:52)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「南」MAPLay. 5 E
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:52)
こちらの方向に、今日一日訪ねてきた ギョレメ [Göreme] 、ウチヒサール [Uçhisar] 、鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] 、 三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] がある。
「西」MAPLay. 5 E
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:52)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「北西」MAPLay. 5 E
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:53)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「北」MAPLay. 5 F
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:53 )
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「北東」MAPLay. 5 F
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:53)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「東」MAPLay. 5 F
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:53)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「南東」MAPLay. 5 F
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:53)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。 写真中央のテーブルが備えられた所は、このホテルの屋上テラス。
「南西」MAPLay. 5 G
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:53)
こちらの方向に、今日一日訪ねてきた ギョレメ [Göreme] 、ウチヒサール [Uçhisar] 、鳩の谷 [Güvercinlik Vadisi] 、 三美人妖精の煙突 [Üç Güzeller peri bacaları] がある。
「西」MAPLay. 5 G
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:53)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「北西」MAPLay. 5 G
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:54)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「北」MAPLay. 5 G
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:54)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「南」MAPLay. 5 G
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:54)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「南東」MAPLay. 5 G
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:54)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「東」MAPLay. 5 H
Temenni Evi Hotel の屋上からの景色 (16:54)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「北東」MAPLay. 5 H
Temenni Evi Hotel での夕食 (18:37)
MAPLay. 5 I
Temenni Evi Hotel での夕食 (18:51)
MAPLay. 5 I
Temenni Evi Hotel での夕食 (19:01)
MAPLay. 5 I
Temenni Evi Hotel での夕食 (19:24)
MAPLay. 5 I
Temenni Evi Hotel の屋上テラスからの夕景 (20:32)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「北」MAPLay. 5 J
Temenni Evi Hotel の屋上テラスからの夕景 (20:34)
このホテルは、カッパドキアのウルギュップ [Ürgüp] 中心部に位置し、オスマン建築の石造りの建物を利用したホテル。 屋上から周囲の谷の広々とした景色を望むことができる。
「南東」MAPLay. 5 J
Temenni Evi Hotel の屋上テラスにて (20:38)
「東」MAPLay. 5 J
Temenni Evi Hotel の屋上テラスにて (20:39)
「東北東」MAPLay. 5 J
Temenni Evi Hotel の屋上テラスにて (20:43)
「南西」MAPLay. 5 J
Temenni Evi Hotel の屋上テラスにて (20:44)
「東北東」MAPLay. 5 J

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